1332年、桃源郷とも謳われたモンゴルの夏の都、上都の離宮は大混乱に陥り、
人々は恐怖と苦痛になすすべもなかった。(中略)
人々を脅かしていたのは外国の軍隊の侵攻でもなければ暴動でもない。疫病である。
この病気は「黒死病」(腺ペスト)として知られるようになった。
複数の記録によると、この病気は華南に端を発し、モンゴルの兵士が北に運んだという。
病気のバクテリアはノミの体内に棲息する。
ノミは南からの食べ物や貢物の輸送とともに、ネズミに取り付いて移動する。
1331年には華北地方の人口の90%が死亡した。
中国は13世紀の初頭には約1億2300万人の人口を擁していたが、
14世紀の終わりにはわずか6500万人に減少した。
都市が疫病の理想的なすみかだとすれば、船の閉鎖された環境は疫病の理想的な培養器だった。
ペストはローマの没落以降ヨーロッパを支配してきた社会秩序を事実上崩壊させ、
ヨーロッパ大陸を危険な無秩序状態に追い込んだ。
いたるところで、脅えきった人びとは病気が入ってきたのを外国人のせいにし、
国際交易はさらに危機的状況に陥った。
(交易で東洋とつながりのあったユダヤ人が目の敵にされた)
国民から孤立し、疫病の蔓延に対して有効な手を打てない中国のモンゴル人皇帝は、
チベット僧の醸し出す霊的な世界に逃げ込んでいく。
紙幣に対する信頼が落ちてその価値が下落し、銅貨・銀貨の価値を押し上げることになった。
インフレーションが激しく巻き起こり、1356年には紙幣は事実上まったく無価値なものになっていた。
(以上、本書より抜粋)