まえがき


 相場必勝の指導書といわれるものは、昔からたくさんあります。
 米相場時代から相場の聖書といわれたものは、本間宗久の「宗久秘録」、牛田権三郎慈雲斉の「三猿金泉録」、猛虎軒の「秘録八木龍、虎、豹の巻」があげられます。
 この外にも「商家秘録」、「六甲伝」、「売買出世車」、「米道大意」など数知れず、明冶になつてからも野口泰次の「相場道」、松村辰次郎の「松辰遺稿」など数知れません。
 また、「集散論として山片蟠桃の「夢のしろ」も、社会学としてタルドの「模倣学説」も、心理学としてルボンの「群集心理学」、クラウゼヴイツの「戦争論」や孫子の「兵法」、果ては相場修養の書として官本武蔵の「五輪の書」まで相場で儲けるためにそれこそ血眼になつて読まれておりました。
 そして結局は、相場は「運・純・根」であるとか「相場は腹で張れ」とかいうことになつてしまつたようです。
 それは、これらの相場の教科書といわれているものが、あまりに抽象的な記述が多く、現実の相場とかけはなれているからなのです。
 相場は腹でいけ、といつたつて、私にはそれはあまりに無責任な言棄のように思えて仕方がありません。腹というのは精神力のことを指しているのでしようが、それならぱ「腹の出来た」禅宗の高僧が相場を張つて、儲けられるかといえぱそうはいかないでしよう。
 それは腹は出来ていても相場に関する基礎の知識や技術がないからです。だから「腹でいけ」というその腹は、基礎の知識や技術に経験をつみ重ねた末に出来るものなのに、基礎なしに一足とびに「腹でいけ」といつたつて相場に関するかぎり無理なことなのです。 突飛な例ですが、論語に「一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り、人はその憂に耐えず、回はその楽を改めず、賢なるかな回や」という章があります。
 これは顔回が、一箱の食物と一杯の飲物さえあれぱ生活を楽しんでいることを賢人であるといつているのですが、もし生きるための最低限度の飲食物さえなかつたならば、いかに賢人といえども死んでしまうにちがいありません。
 相場でも同じことです。相場をするための最低限度の知識と技術さえも知らなくては、相場をすれば負けてばかりいなくてはならないでしよう。
 その「最低限度」を書いたのがこの本なのです。
       二   
 相場について、なぜ失敗する人が多いのでしようか。大きな理由は四つあるでしよう。まず、投機の根本たる技術面、すなわち売つた買つたの実行面に関する、つまり玉を建てたり手仕舞つたりする技術をなおざりにして、もつぱらスリルばかりに片寄つてしまうからです。ふたつ目には相場のふしぎな魅力にとりつかれて、必要な基礎の知識の吸収をおろそかにするからです。三つ目には大局的な動向を知つたり、必理的な変化や、相場の曲り角を分析する技術を知らないからです。四つ目にはそういう基礎を知っていても、一足とびに大儲けを狙い、階段を五段も六段もいっぺんに昇ろうとするからです。
 こういうことを考えると、腹の出来る前、いや、腹をつくるためには、相場に関するほんとうの基礎的な技術と知識を持たなくてはならないということになつてきます。
 だから、私の相場における経験から、「腹でいけ」ということを無責任なことぱと思つて、そんな柚象的なことでなしに、生きてゆくための最低の会糧と同じように、相場をしてゆくための最低の知識と技術を具体的に知らなけれぱならないという考えで、この本を書いたつもりなのです。
 書いてみると、あのことも書けぱよかつた、このことを書けぱもつと親切だつた、と、書き残したことはたくさんあります。しかし、とにかく、一応の知識と技術を書くことができたと思つています。
 それも、あまり枝葉末節に入らず、抽象的にならず、ということは、なかなかむつかしいことです。章を分けたことも、別にその章だけが完全に独立しているものではなく、この本全体として、相場の基礎と考えて下さるようお願いします。
 勝利への基礎であると確信します。そして、読者のお役に立つことを念じております。
  昭和三十五年八月
                            林  輝 太 郎

        新訂版に際して
 
 成年になつてから技術的な仕事を、たとえぱゴルフでも相場でも--はじめた人たちに共通する悲劇はどうしても知識偏重になることです。それは観念的にはわかつていても、既成の常識が邪魔して基礎の技術を身につけることがなかなか困難だからです。
 赤ん坊のときにハイハイしていたものを母親が手を持つて歩き方を教えてくれた、そのおかげで一生歩ける技術を身につけたわけですが、そのときのように無批判に技術を受け入れることが出来なくなつているのです。
 また、時間と労力を惜しまず、歩き方を教えてくれた母親の大きな愛情と同じように、相場の技術を教えてくれる人はなかなか見当らないのです。
 相場においては技術でさえも或る程度、文章で書きあらわすことが出来る、とは思いますがいままで相場技術について述ぺた本は見当りません。
 「小豆相場の基本」は三年是らずのうちに十一版を数え、新訂版を出すのに今度こそは技術面に多くの頁数をさこうと思いながらも果たさず、第七草を追加し、部分的な訂正と引用の古いところを書き改めるにとどめざるを得なかつたのは残念ですが、一歩の前進を認めて頂ければ幸いです。

       三十八年七月一日 

※このページは、絶版となった名著の、現存するコピーから起こしたものです。
 コピーが散逸している分が一部欠けておりますがご了承ください。


    目 次

ま え が き
新訂版に際して
序 章 相場というもの・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一五
  1 売買は自由だが
  2 売買の内容
  3 相場と勝負事
  4 投機とはどういうものか
第一章 小豆相場の組み立て・・・・・・・・・・・・・・・ 二九
  1 勉強が大事
  2 小豆の売り買い
  3 限月の性質は変る 
  4 取組と取組表
第二章 鞘と人気の見方・・・・・・・・・・・・・・・・・ 五三 
  1 鞘はどうして出来る
  2 鞘の運動
  3 人気とそのあらわれ
  4 上長と下長について
第三章 期節的な変動・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 九一
     (夏相場の作戦と心構え)
  1新穀と旧穀との対立
  2相場の主導権
  3 二つの反省時期
  4 逆向かいの可否
  5 目立たぬ材料
  6 夏相場の 線
  7 大型相場に移るか
第四章 売と買について・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一一五
  1 踏み出し大切の事
  2 相場の波を泳ぐ
  3 材料というもの
  4 踏出した理由
第五章 売買の技法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一三五
  1 底と天井
  2 部分的な戦術
  3 難平の基本 
  4 難平の実際
  5 利乗せの根本
  6 少量づつの買乗せ
  7 相場は相場に聞け
  8 投げと踏み
第六章 仕手相場の周囲・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一六九 
  1 買占め事件
  2 思惑ということ
  3 吉川商店の買占め
  4 買占めと玉締め
  5玉締めとそのチヤンス
  6売り崩しとその他の仕手相場





     序章 相場というもの

      売買は自由だが-売買の内容-相場と勝負事-
      投機とはどういうものか


相場とはどういうものでしようか、バクチと同じものでしょうか。ちがうならどこがちがうのでしょうか。これはなかなかむつかしい問題で、つきつめてゆけば、値段の変動の理論という学問的なことからはじめなけれぱならないでしようし、また、そんなことを知つていたつて儲けるためには役には立たないという人もいるかもしれません。
しかし、反対にこのことは相場で儲けるための基礎的な知識の一番目に当る大事なことともいえましよう。
少し理屈つぽいかもしれませんが、わかりやすく書いたつもりです。とにかくここからはじめて下さい。



    1 売買は自由だが
 現在はまだお米は統制されています。政府が一キロいくらと決めて日本中の人にその値段で売買せよと強制しているのですが、なかなかうまくゆきません。自由に取引できるお米、つまりヤミ米は毎日一円か二円上つたり下つたりしています。どうしてでしようか。品物がいつも同じ数量だけあるとは限らないし、また売る人の数も買う人の数も瞬間ごとに違つているからなのです。
 商品の値段というものはこのように、どうしても人間の力ではどうにもならないもので、いつも動いています。あるいは動こうという性質をもつているともいえます。私たちが〃相場〃と呼ぶものは、値段のこのように動く性質をさしてそういつていると考えてもよいのです。
 小豆の値段も毎日休みなく動いていることはお米や、その他の商品と同じで、やはり需要と供給のパランスによつて上つたり下つたりしているのです。
 そして、それが、取引所という公共機関で多数の売手と買手を集めて、公開して売買が行われているので、誰でも取引に参加してよいのです。
 だから、自分の畠で収穫した小豆を(検査を受けなければなりませんが)売つて、代金を規定の日に受取ることも出来ますし、あんこ屋や雑穀の問屋は小豆を何十俵か何百俵か欲しいと思えば、取引所で買付ければ品物を受取ることが出来るのです。
 商社は、仕入れや、販売に取引所を利用していますし、また手持のヘッヂ(保険つなぎのことですが、あとで述べます)のために取引所の〃取引き〃を利用しているのです。
 しかし、私たちが、売つたり買つたりするのは、品物(小豆)がほしいわけでもなく、また手持ちの品物を売つて、代金がほしいわけでもありません。安いときに買つて高くなつたときに売つて差額を儲けたいのです。(高いときに売つて安くなつてから買戻してもよいのです)
 取引所の商品は、きめられた手続きさえふめば、誰でも売り買いしてよいので、目的はか限られてれているわけではありません。また数量の最低単位がきめられているほかは制限されているわけでもありません。
 また普通の商取引にありがちな、不渡りとかキヤンセルとか、注文した値段と品物とがちがつているとかいうような心配もありません。
 立会(たちあい)のときにはいつでも誰でも好きなように売つたり買つたりしてよいのです。
 ただ結果は……それは残念ながら保証されているわけではないのです。
 私たちが、これから勉強してゆくことは、小豆の相場を利用して如何に儲けてゆくか、誰にも保証されていない売買の結果を、自分の勉強で保証してゆこう、ということになります。

    2 売買の内容
 
 さて、小豆をいま売るか買うかします。たとえぱ買うとする、いつたいそれはどういうことなのでしようか。その内容を考えてみましよう。
 この小豆はいま六、○○○円の相場であるとします。農林省の方針は農業を保護しています。貿易が自由化されるという噂もありますが、或る人はそれはまだ遠い将来のことになるといつています。それならば日本中の小豆の需要は結局北海道産の小豆に集中するでしよう。ことによつたら、今年は天候が不順で不作となるかもしれません。
 もしそうなるようだつたら、相場はこんな安値にいるはずはなく、必ず高くなることはまちがいない。
 このように考えたからこそ、命から二番目の虎の子を元手にして、小豆を買う気になつたにちがいありません。このように、相場で買い付けたことを「小豆を買つた」といいます。また「買思惑」(かいおもわく)をしたともいつています。つまり、相場をするということは結局「将来は現在とちがつてくる」ことを予想して、金儲けを計画することになるわけです。しかし、その計画は全く自由だとはいつても、制約もあります。・たとえぱ、いま買つた「小豆」を来年の冬まで持つているわけにもいきません。小豆の相場には限月(げんげつ)という期限があつて、決済期日(納会・のうかいと呼びます)がきめられているからです。ちがいありません。
 このように、相場で買い付けたことを「小豆を買った」といいます。また「買い思惑」(かいおもわく)をしたこともいつてます。
 つまり、相場をするということは結局「将来は現在とちがつてくる」ことを予想して、金儲けを計画することになるわけです。
 しかし、その計画は全く自由だとはいつても、制約もあります。たとえば、いま買つた「小豆」を来年の冬まで持つているわけにもいきません。小豆の相場には限月(げんげつ)という期限があつて、決済期日(納会・のうかいと呼びます)がきめられているからです。
 また、もし現物(俵に入つた小豆、つまり品物)を品受けして、倉庫に入れて、長期決戦を計画したとしても、毎年十月には新しく収穫した小豆が出てきます。だから、いま品受けした小豆は故品(ひね・旧穀のこと)となつて次第に商品価値が下つて安くなつてしまいます。
 それなのにノホホンと現物を持つていてはなりませんし、また、そんなつもりで買つたわけでもないでしよう。
 小豆相場の限月は三力月建(限月については次の章で述べます)となつていますから、いちばん長くて、足かけ三力月以内、それも短かければ短いほど、今日買つて、明日にも大暴騰してくれれぱそれに越したことはないのです。
 そして、買値より高くなつたら、時期を見て売る、それも相場のいちばん高値で売つて財産をふやしたいというのでしようし、それではじめて目的を達した、ということになるわけです。
 現物を受けれぱ丸代金(まるだいきん・代金総額・つまり、六、○○○円の小豆一枚ならば四十俵ですから二十四万円になります)が必要ですが、期限(納会)までに売るならば、証拠金だけですむわけで、それは丸代金の一割程度にすぎません。
 早く目的を達するほど、少い代金ですむわけで、それだけ効率もよくなるのですし、結局は少い資金で多く儲けられることになります。
 ですが、それはあたりまえのことですが、決済しなげれば、利益は自分のものとはなりません。
 つまり決済するまでは、相場が動いている以上、計算すればという仮定であって、儲けはまだ自分のものではないのです。一枚で手数科を差引いて何万円儲かつた、証拠金が倍になつたと喜んでいても、しよせんは取らぬ狸の皮算用にすぎません。もちろん、いま売つたのではいくらいくらの損になる。困つた困つたと青い顔をしているよりいいにはちがいありませんが、とにかく、手仕舞(てじまい・決済のこと)をして、はじめて利益金が自分のもの

るわけです。
 こんな内容をもつているわけですが、この儲けも損も、毎日、いや毎時間動いているわけでその動きは、なかなか予測することがむつかしいのです。
 だから、相場はバクチなんだ、というひともも一部にはいるわけですが、果して相場はバクチなのでしょうか。

          3 相場と勝負事
 世間の一部の人は、相場は勝負事の一種だと思つているようです。監督官庁の高級役人や、実業家の中にも、相場と賭博は程度の差はあっても本質は同じものだという考えをもっている人もいるのですから、一般の人がそう考えても仕方のないはなしでしょう。
 こういう人たちは、相場は賭博のうちで、いちばん高級なもので、複雑で、規摸の大きいものだと思っているらしいのです。
 こういう間違った考えの出るのはいろいろな原因があるでしょう。そのひとつは合百(ごうひゃく)からきています。

 合百というのは昔、米相場が盛んだつたときに行われた賭けのことです。これは、前場大引(ぜんぱおおびけ・午前のいちばん最終値のこと)の値を当てるバクチで、いろいろな張り方(作戦の立て方)があつて、駈引きも面白く、ルーレツト以上に発達した”賭けごと”といわれていました。
 本当の米相場は本米(ほんごめ)と呼ばれて、最低単位が百石(二百五十俵)、証拠金は百円という、いまの金に直すとたいへん高い金額でしたので一般の人はほとんどやらず、たいてい合百だったようです。これは十円単位でしたし、五円でも一円でもいいものもありましたので誰でも出来ました。いきおい、合百が盛んになって、合百のことを米相場だと思う人が多かったのです。

 これが、相場をバクチと混同している人の多い原因のひとつなのですが、とにかく、相場とバクチとを同じものと思っている人が多いのは事実のようです。
 では、相場でも、投資とか投機とかやり方に区別があって、投資はよいが、投機は勝負事だという人もいるかもしれません。
 このごとはなかなかむつかしい問題で、相場そのものの本質ということにもつながつているので、学者によつても、また相場界の中でもいろいろな説があります。

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けです。
 すると、相場も客観的な資料にもとづいて、売か買かを判断して、利益を得るのだから競馬と同じではないか、という疑問がでてきます。
 その通りなのです。相場と賭けごとでは、表面だけみると、同じ条件のことがあるのです。そのうえ、外面的なあらわれ方は、たとえば金銭の増減ということも似通っています。しかし根本的な性質というのは全くちがっているのです。

4 投機とはどういうものか

 商人が、これから値上りすると予想して商品を仕入れ、予想通り高くなってから(予想通りにならないかもしれませんが)売つて儲けるのは投機とはいわれていません。
 しかし、よく考えてみると、商人が商品を仕入れて儲けようとするのも、相場で買建(かいだて)して高くなるのを望んでいるのも、同じように利益を得ようとしていることにちがいはないはずです。
 これが、投機(相場)を実行するひとつの面で、目的は利益追求なのです。

一25−


 しかし、投機にはもっともっと根本的な目的があるのです。それが市場の存在するいちばん大事な理由なのですが、それは経済順応の面で、目的は損害保険なのです。
 たとえば、だんだん物価が上つてきたとします。こういうときは近い将来にインフレになるかもしれません。もしそうならば、財産をお金のまま持つていては損です。インフレでお金の値打ちが下つてしまうから品物に変えて持つていようと考えるのはあたりまえです。
 これはお金の値下りを物の値上りで保険をつけた(保険つなぎ)ことになります。ところが品物に変えるといつても、すぐ品いたみしたのではしようがないでしよう。品質が落ちたり、いたんだりしないものがあれぱ、いちばんよいのですが、それが、土地などの不動産、株式や公社債などの有価証券、一定の商品の定期市場の買建王(たてぎょく)や倉荷証券(くらにしようけん)ということになるのです。
 こういう考え方は、何もバクチ的な考え方ではなく、自分が苦労してためた財産を守るための当然の道なのです。自分の家庭や会社の経済面を破たんから守ろうとする、きわめて地味な消極的な考え方といえましょう。
 投機というのは、世間では一かく千金式な派手な勝負のように思っているのですが、実際はこうした景気の荒波から財産を守るという、地味な性質が根本となっているのです。
一26一
 ただ、景気の波を利用して、株式や商品の市場で一儲けしようと「相場を張る」のは、消極的な財産の維持という面から一歩前進して、積極的に財産をふやそうと努力していることになります。
 投機というものは、本人がどういう気持でやつているにしろ、とにかく将来の経済環境に従つていこうとしていることです。
 だから、投機と賭けとをむつかしく、定義づければ次のようになります。
 投機というものは、人間が生きているかぎり、避けることのできない景気の変動について、消極的にはそれからこうむる損失を保険し、積極的にはそれを利用して儲けようとする行為であるが、賭け事は、われわれの生活とは関係のない対象物で人為的な機構によつて利益を得ようとする行為である。 
                    岩本巌氏「相場は生きている」上巻
 このように投機と賭けとは根本的にちがっているのですが、外面的には相当似通っているところがあります。
 そのひとつは、前にも述べたように両方とも将来を予想していくらかの金を賭けているとい

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うことです。しかし、バクチ打ちと呼ばれるバクチのプロ(専門家)は自分でバクチをするのではなく、実はバクチの胴元なのですが、相場師とか投機業者(株式運用会社、つまり投資信託会社も本質はそうですが)とかいわれている投機のプロは、相場を張つて生活をしてゆくことはできるということになります。
 このことは、バクチは偶然性が大きく、確率は二分の一以下で、当たり外れは運次第ということですが、相場は研究次第では、確率をいくらでも高くすることができるから、相場で生活してゆくことが可能になるということを意味しているのです。
 相場でもひとつの事業と同じです。研究すれば、その成果は必ずあるのです。だから、これから相場の確率を高めるための勉強をしていこうというわけなのです。



第一章 小豆相場の組み立て

         勉強が大事ー小豆の売り買いー限月の性質は---
変るー取組と取組表


ここでは小豆相場を組み立てているいろいろな要素を、私たちの相場実践の立場から解明してゆきます。
まだ目的の相場の売買には入りませんので、面白くないところもあると思います。
経験のある方は、なんだこんなことは知つているといわれることもあるでしようし、経験のない方には4の取組と取組表のところなどは、少しむつかしいかもしれません。もしそうだつたらそこは飛ばしても、あとで読んで下さればよろしのです。
ここで基礎を終り、次の章から実際の相場の動きに入ります。


       1 勉強が大事
 相場というものはどんな理屈をいつたとしても、それをする当事者の私たちからみれば、望むところはひとつしかありません。つまり利益の計算書がほしのです。
 「勝負は時の運」という言葉がありますが、運に左右されるのだと思つている人もいるようです。
 たとえば、いろいろ先行きの景気や需要供給を経済学的に線密に調べて売買した人が損をしてしまうかと思えば、ちよいとした思いつき、たとえば百円銀貨を投げてみて、表が出たら買おう、裏が出たら売ろうといつて売買した人が儲かつたりする、だから相場というのは運なのだ、というわけです。
 しよせんは、神ならぬ身の相場の動きはわからないのだ。といつて、どうしても他力本願に


図がはいる
32-33ページ

ているのです。標準品以外のものはどうか、といえば、格差(かくさ)というハンディキヤプをつけて受渡しされているのです。
 たとえば、同じ北海道産の小豆でも一等品は一○○円格上げ(かくあげ)、つまり取引所の相場よりも一○○円だけ高く受渡しできる規定になっていますし、三等品は一、○○○円格下げつまりそれだけ値引して受渡しされているのです。もちろんこれは定期市場における規定で、現物を現金または手形で売買するときは、相対相場(あいたい)ですから、必ずしもこの割合とは限りません。
 だから、北海道小豆の三等品を一俵六、九○○円の定期相場で売つても、約束の日つまり納会の翌々日に代金を受取るときには、格差千円を差引いた五、九○○円にしかならないわけです(厳密な手取といえば、一俵当り二五円の売付手数料と同額の品渡し料など、合計一俵当り五十円の手数料を引かれますから、五、八五○円となります)。なぜならば定期の相場は二等の値段で、渡した現物は三等だからです。
 また、青森産小豆は一等品が三○○円格下げとか、二等品は三五○円格下げとか、いろいろ規定されているのですが、そんな細かいことは何も必要ありません。
 私たちが知らなければならないことは、取引所の相場は北海道小豆二等品を標準とされているかぎり、北海道の豊作や凶作が相場にはいちばん影響があるけれでも、やはり日本中の小豆の量によつて北海道産の小豆も値がきまつてくるのだということです。
 だから、小豆の代用品としても使われる「金時」や「うずら豆」や輸入小豆(中共やビルマ)によつても小豆相場は相当な影響を受けることになるわけです。
 株式相場は経済情勢と会社の業績や将来性によつて動く、というのが原則ですけれど、その経済情勢は、非常に多くの面からの影響を受けていますし、株式そのものは、利潤証券的な面(採算)と物的証券的な面(投機性)を持つていますし、また何よりも、投下した資本とは別の利潤を資本化し流通させた、むづかしくいえば、擬制資本として動いているもので、変動の原因はあまりに複雑でわかりにくいのですが、小豆の相場は需要と供給だけが変動の原因だという点で(需要供給そのものは、株式よりも少しは複雑ですが)株とくらべて非常に簡単なものといえるでしょう。
 このことは大事なことです。往年の繊維市場の大相場師 田附政次郎は
 「需給はすべての材料に優先する」
といつたのは、あたりまえのことをいつたにすぎませんが、それは需給の大事なこととともに材料やニュースや情報におどらされる馬鹿馬鹿しさを警告しているのです。

   仲買人・立会時間・手数料・証拠金などについて
 株式市場の証券会社に当たるのが仲買人です。だから売買の注文は仲買人を通じて行わなければなりません。そして、証拠金といつて手付け金と
同じように、一定の金額を預けなければなりません。
 これは現金でなくとも、株券(第一部上場株)でも公債でもよいのですが、大体時価の六掛に評価されます。これを充用価格(じゆうようかかく)といつてます。もちろん名儀は変りませんので、取引を終ればそのまま返却されるわけです。
 証拠金は一枚(四十俵)につき四万円くらいです。(相場が高くなつてくると証拠金も上がります)
 また仲買人は、お客様の売買を取り次いでいるのですから、手数料を取ります。これも、株と同じように定められています。四、○○○円から、六、○○○円までは往復で一俵当たり五○円です。つまり五○円以上動かなければ利益とはならないわけです。これは割合からみますと株よりも段違いに安くなつています。
 取引を立会(たちあい)といつて、年末、年始、日曜、祭日を除いて毎日あります。土旺日と納会のあと二日間(受渡し準備の日と受渡しの日)と月末の最終立会の日は半日で終わります。




受渡し準備の日や受渡しの日が半日ということは、株とちがつて、商品そのものの売買である関係上手間がかかるからです。
 立会はセリ売買で行われます(東京と大阪ではセリのやり方が少しちがいます。東京は板寄せザラバ折衰法、大阪は板寄せ法)。午前は九時、十時、十一時で、これを前場(ぜんば)といい、午後は一時、二時、三時で、後場(ごば)といつてます。
      寄付の立会
 たとえば、本年(三十八年)の三月一日、金曜日の朝、或る仲買店に行ツタとしましよう。この日は三月の最初の立会の日で、新しく五月限の取引がはじまるので進甫発会(しんぽはつかい)といわれ、略して進甫といつてます。
 九時の立会のセリはにぎやかでした。セリは決済期限の早い限月から行われます。つまり三月限からです。次に四月限が行われ、次に進甫の五月限となるわけです。
 立会は終つて値段は次のようになりました。黒板をそのままうつしてみましよう。


円安の七、○七○円となり一六五枚の商内があつた。四月限は四〇円安で三二四枚、新甫の五月限は七、三一○円ではじまり、一、○○七枚の初商内があつて合計一、四九六枚、約千五百枚すなわち六万俵の取引が行われた。ということがわかるわけです。
 これが前場一節(寄付・よりつき)の出来高になるわけです。
 この限月、値段、出来高、取組みなどみついて、いろいろ基本的なことをかんがえてみましよう。

        3 限月の性質は変る

まず、どうしてこんな面倒な限月なんかをきめるのでしよう。株のようにひとつの値段でいいじやないかと云われるかもしれません。それは小豆は毎年新しいもの(新物)がとれてきて古いものはだんだん値打ちが下がつてしまうので、古いものは何月までしか売買できない。ということを定めるために決済期限といいものが必要になつてくるのです。
 たとえば、本年(三十八年)の十月限はヒネ(三十七年産)でも新物(三十八年産)でも受渡ししてよいが、十一月限からは、三十八年産の新物しか売買できない、というふうに決めら

限月の性質 だから、いま例にとつている三月には当限戸呼ばれる限月は三月限で、中物は四月限、先物は五月限というわけですが、三月末になると、三月限は取引が終わつてなくなり、四月になれば四月限が当限と呼ばれるようになり、いままで先物と呼ばれた五月限は中根と呼ばれ、先物とは新しく取引のはじまる六月限を指すことになります。 
 そして、また、決済期日がちがつていることから、次に述べるように定期としての性質が少しづつちがつています。さらに同じ限月でも先物と呼ばれた時代から中物、当限となるにしたがつて、だんだん性質や内容がかわってゆくのでしょうか。 
先物 いちばん新しい限月で、納会はいちばん遠いことになります。だから、いちばん遠い 将来を売買していることになります。
 でも三ヶ月も先の小豆の需要供給が、いまからはつきり分るはずはありません。だから、



その頃にはこうなるだろうという予想だけで売り買いが行われているといえましよう。このことを云いかえると、先物の値段は需給の先行き、つまり、将来こうなるだろうという「人気」を反映しているということになります。新甫早々は取組(売玉、買玉の残高、つまり未決済の玉のことですが、くわしいことは次の項で述べます)が少く、日がたつにつれてだんだんぷえてゆきます。すなわち、取引に参加する人が次第に多くなってゆくのです。そうして、ツナギの売買や、サヤ取り売買も行われるようになります。中物 現物業者のツナギ売買が次第に行われてきます。また、先物時代に仕掛けられた値ザヤかせぎの売買玉の決済も少しづつ行われますが、それ以上に、新しい売買玉もふえてゆきます。取組残高はいちばん多いのが普通です。
当限 中物から当限になると、もう納会は一カ月以内に迫ってきたわけです。納会は、現物の受渡しをするのですから、納会が近ずくにつれて、現物の売買と同じ(厳密にはちがいますが)になつてゆくと考えてもよいでしょう。
 だから、当限は、現在の需給状勢を反映していることになります。

 納会が近ずくにつれて、建玉の埋め売買(転売または買戻しが行われて、取組残高は次第に減る傾向にあるのが普通ですが、仕手戦が行われるようなときは、現実の需給関係と遊離してしまうので、突飛な値をつけることもあり、そうなると投機心がそそられて、ますます思惑もはげしくなり値動きが荒くなることもあります。 
 このようにみてくると、定期市場の先物というのは、いわば、相場の目であり、耳であり口であるといえましょう。 あらゆるニュースや材料はまず先物によって捉えられ、咀嚼されます。中物は胃腸に相当して、ここで、需給の先行きと、現実とがよく消化されます。また保険つなぎという栄養分を業界に提供します。そうして当限にまわると、現物の持越、出回りなど、商品を集散する役目を果たすわけです。
 納会で、現実の需給関係を診断して一つの限月の生命をおわるということになるわけです。


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 まれたあと後場一節一節に九○円高の値をつけたがあと安くなり、結局高値から七○円安の七、三三○円の大引になったわけです。
 そして出来高は先物だけが二、七四二枚でいちばん多く、合計五、三七二枚だったわけです。俵数に直すと二十万俵を越します。
 この出来高というのは、売と買の合計ではなく、売と買一枚が商内できたときに出来高一枚というので、いわゆる片道計算で、たとえば先物が二、七四二枚の出来高というのは、売った枚数が二、七四二枚、買った枚数も同じ二、七四二枚ということです。売り物がなければ買えない道理ですから当り前のことです。(店別の出来高はこの倍になるわけです)
 しかし、売った人数と買った人数は同じではありません。出来高十枚といつても一人で十枚売つたのに対して、買手は二人で五枚づつ買つたのかもしれません。
 あるいは、仲買店によって売物と買物が同数あつたり、売買が片寄つたり、売物や買物がまとまつていることもあるわけです。
 だから、出来高というのが、すなわち取組高となることはないわけです。
 たとえば、A店ではこの日に先物を十校売ったお客が五人いて、それだけだつたとしますとA店の出来高は五十枚です。そして取組は五十枚の売りということになります。

B店では一人で五十枚買った人がいますし、また十校売つた別の人もいるとします。この店の出来高は六十枚になります。そして取組は、差引き四十枚の買になるわけです。
 売玉と買玉は相殺されて差引きの残高だけが表面にでてくることになります。
 また、C店で前場に十枚買つた人と後場に十枚売つた別な人がいれば、この店の出来高は二十校ですが、取組の残高はゼロとなるわけです。
D店では前場十枚買つた人が後場でそのうち五枚を売手仕舞したとします。すると出来高は十五枚で取組残高は五枚の買となるのです。
 これを表にしてみましょう



-47-の図後回し


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−−(欠けています)−−
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このような理屈はどうでも、とにかく、各限月の値がちがっていることは事実です。しかしこのサヤ関係はゆきあたりぱったりにきまるものではなく、日本中の人が妥当だとみたところでそうなるのですから、それ棺当の市場の状勢によってきまるものと考えてよいでしよう。このことを裏返せば、サヤをみれば、市場の状勢は或る程度はわかる、ということになります。また、サヤが次第に変化してきた。たとえば、順ザヤだった相場がだんだん逆ザヤになって、きた、ということは、期近が高くなったのに先物はそれほど騰がらなかったからそうなったので先行き悲観の人気になってきたということが推測できる、ということにもなります。方この典型的な例は、三十西年三月の天井です。このときは、前の年功十二月の五、〇〇〇円塊割れからずっと順ザヤで騰げつづけてきましたが、三月の四日にまず、中と先とが六、三九○の静円と同値になって、これ華一番天井になhソ、だんだ,ん逆ザヤに変ってゆき、二番天井は、当限掛川六「旧ガポド、そのピポの先物は六、胆○○円〜先物の天井値はその二日前十七日に六、四輪一○円)で完全に逆ザヤになりました。それから暴落となつて、六月に再びユ、○○○円を割書ってしまったのです。(第七草の十四日をみて下さい)一一第(注)一・サヤ」はこの外にも



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各市場間の値段の開き現物と定期の値段の開きをいうこともあります。それについては「人気」のところで述べましょう。



サヤの種類と原因

まず、サヤの種類と原因をみましょう。(第一図)順鞘第一図上に示したもので、当限より中物、中物より先物と、先にゆくほど高ぐなつているサヤ関係をいいます。一定の値巾をもつた順ザヤがつづくときは、市況が平穏であることを示しています。相場が順ザヤになるには二つの場合が考えられます。ひとつは、先行き好況が期待されて、先物が高く買われたときで、これは前途期待の順鞘といえましょう。もうひとつは、売れない品物が市中にだぶついて、当限が売り叩かれたどきで、これ現実悪の順鞘というわけです。前途期待の順鞘(期待順鞘ともいいます)は、現物の需給はマアマアで、それほどダプ
















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り叩かれるのは前途悲親の逆鞘といわれて、先にゆくほど安くなり、悲観人気がつよいほど中先の差が大きくなるわけです。(第三図上)また、現在がとても品不足で、当限に品受け希望者が多く、売方としても、現物が容易に手当て出来ないので有利な(高くて早く現金化する)期近を売ることをやめて、先物を売つてくる。だから自然当限が割高になつてくるわけで、当中の差が大きくなつてきます。これは供給不足の逆鞘といわれています(第三図下)オカメの鞘当先より中が安い鞘、つまりオカメの鼻がひくいことからそういうのですが、





原因としては(1)逆ザヤのとき、先行き好転のきざしがみえてきたので先物が買われてきた。(2)順ザヤが続いた末に、だんだん品不足になつて、当限が高くなってきた(3)端境期(たんきようき・はざかいき・新物とヒネの入れ変るころ、八〜十月がこれに当る)などで、ヒネは余つているが新物は小作になるようなときということが主として考えられます。テングの鞘中がいちばん高い鞘で、テングの鼻の高いことにたとえていわれています。原因として主なものをあげると




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とで述べましょう。一般的にいわれることは、オカメは弱材料織込済だからこれから高くなる。テングは強材料出尽しを示しているから、これから安くなるというわけです。

2鞘の運動
三十年から三十二年にわたる小豆の大相場で、たつた五十万円の資金で、三千万円儲けた人がいました。この人は三千万円儲けたらピタリと相場をやめて、いま夫婦で飲食店を経営しています。もつと儲けようと思うのが人情なのに、相場をやめてしまつたのはなかなか偉いと思うのですが、目的を達したのですから、本望だつたと思います。この人が何で売り買いを判断したかというと、それは罫線(けいせん・グラフのことです)をみてやつていたのです。その罫線が、いま私の手許にあります。巾が一メートルで長さが十五メートルぐらいある大きなもので、巻いてあります。それには、当限と先物とのサヤが引いであるだけなのです。


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時期がよかったのかもしれません。つまりサヤだけをみて、サヤの変り目毎に売買していたのが的中して、相場が大きかつたときですから、儲けも大きく、たちまち、資金が数十倍になつてしまつたのです。これはほんとに特別な例でしようが、サヤは相場をみるうえに、それほど重要なもので「鞘こそ相場である」と私は云いたいのです。罫線を引いている人はたくさん居りますが、鞘に関心をもつている人は少いようです。この本の「相場の記録と予測」の章では「鞘線」について述べるつもりですが、ここでは基礎となるサヤの運動と、人気について考えていきたいと思います。
上げ相場の鞘
さて、前にあげたように、サヤは相場の転換とともに形が変ってゆくものですが、これを鞘の連動と呼んでいます。一つの限月は納会で終つてしまいますが、サヤは、再び次の限月につづき、新しい世代の人気と実勢の複雑の複雑な交錯を手にとるようにみせてくれるのです。だから、サヤは終ることがありません。大げさにいえば、人間は死んでも歴史の流れは絶えることがないのと同じことです。

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しかし、歴史の流れにも、或るくぎりがあるのと同じようにサヤの運動にもまたそれ相当な区切りがあるのです。サヤの区切りは同ザヤからはじまります。ここから上げ相場がはじまるわけです。典型的なサヤの変化を次頁の第四図をみながら順を追つてゆきましよう。

A 大底圏の同鞘

大底においては、不況のドン底という言葉通り荷もたれになつてしまいます。普通は順ザヤになつていますが、それはいわゆる不況順ザヤといわれるもので、納会毎に当限は安納会をしてしまいます。そして、人気は、現実悲観の人気が強く、先行き希望のもてる先物まで当限と同じような見方で売り叩かれて、当限も先物も同ザヤになつてしまいます。これは大底圏の同ザヤ、あるいは大底圏の同ザヤ化運動といわれ、サヤは開いたり縮まつたりします。そして、弱人気がずつかり織り込まれてしまうと、こんどは売り過ぎの訂正期になるのですが空売りの多い先物から立ち直つてくるのです。これが

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こんなことから市中は実際以上に品不足の感じになつて当限が強張つてきますし、一方ヤレヤレの売物は先物にあらわれて、再び当先は同じサヤになります。これは
C中段の局鞘
と呼ばれます。そして、

1先行き期待の目で当限まで見た錯覚。
2先物にも再びツナギやヤレヤレの売物があらわれる。3現物は実際以上に品不足にみえるので思惑の傾向が強くなる。4そして押目買人気もあらわれる。といろいろな要素が入り混るので、一種の「気まよい」となつて一進一退をつづけ、サヤは開いたり縮まつたりします。これを鞘の開閉運動と呼びます。(この運動は大底のときにも認められました)ここで、手持ち筋の現物が、消化されると、品不足の傾向はさらに現物の思惑をさそつて、期近から上つてきます。


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先行きよりも、足もとから火がついた感じです。これがD好況の逆鞘というわけです。すると、先物は割安にみえてくるわけですし、一般大衆の買人気は先物に集中して総買い人気となつて暴騰E天井圏の同鞘となつて上げ相場を終ることになります。もちろん、これは典型的な変化で小豆の上げ相場は必ずこうなる、ということではありません。現実の相場によくあらわれる変化と注意を記してみましょう。(1)大底附近はたしかに順ザヤの場合が多いのですが、人気のゆきすぎから逆ザヤで底をうつ場合もあるのです。投げくずれてきて、現実の需給関係を無視して大きくゆきすぎるとき、たとえば、三十三年の五月に中共貿易が停止になつてから「中共小豆の輸入はストツプしたから先行き需給は逼迫する」という潜在観念から順ザヤのまま下げ続けたものが、八月一日の発会で、豊作人気が一


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拳に出て、大きな逆ザヤになつてそれが人気の出尽しとなつて底を打つたこともあるのです。また順ザヤが同ザヤに変化するといつても、同ザヤを目指するような動きをして瞬間的に先物が売られることが多いのです。それから先物が急反発をします。三十四年六月の底もそうでした。(2)「中段の同ザヤ」から「好況の逆ザヤ」に移る段階は非常に不明確です。一時的に当限納会などで、目まぐるしく変化します。(3)また「好況の逆ザヤ」は大相場以外は現われないことが多いのです。たとえば、三十四年二月の中段の保合において、はつきり鞘の開閉運動が認められたのですが、それだけで好況の逆ザヤを終り順ザヤのまま騰つてしまいました。(4)このように、天井附近の上げ相場は逆ザヤとしいうことは殆んどなく、大衆のすさまじい買人気のために大きく順ザヤを買われて暴騰するニとがほとんどです。小豆の大天井は必ずといつてよいほど順ザヤなのはこのような人気のゆきすぎからくることは心しておかなけれぱなりません。下げ相場の鞘

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売方の踏みと爆発的買人気で相場は暴騰して天井をつけにゆきます。そして強材料をすつかり織り込んでしまうと E天井圏の同鞘になります。この高値をみて、産地からは値に惚れて売物が出てくるし、現物手持筋も手放してくるし、商社務のツナギもあられれてきます。しかし、まだ品不足気味の期近は売られずに何となく強張つていますので、ツナギは先物に集中してきます。そのうちに、先物が少しでも買い上げられる毎に集中的に売物をかぷるようになつてきます。もう大衆筋の買物も途切れてきて、まず先物が大きな下落をみせるのです。これがF前途悲観の逆鞘のはじまりで、いわゆる「買人気出尽し」の現象というわけです。この状態は、期近にはまだ品不足の好況の幻影が残つている状態なのに、先物には少しづつ暗影があらわれてきたことで、あらゆる天井でいちばん注意しなければならない現象といえます。しかし、まだ「夢よもう一度」と押目買人気は強いのですが、こうなると、いままで先物に向つていた現物のツナギは割高の期近に増加してくるのです。そして、高値をつかんだ筋の投


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げものもあらわれてきます。相場は期近中心に下げて、安い先物と同値になり、G中段の同鞘となつてきます。この状態から、次第に現物はタプつきの状態になつて下押してくるとともに、先物にはもう採算圏に入つた、下つても知れたものだ。という買手もぽつぽつあらわれてくるとH現実悪順鞘となつて、底値圏内の鞘になるわけです。しかし、現実の需給関係を悲観する人気は次第に先物も売り叩くようになり、ここで、そもそもの上げはじめのサヤのI大底圏の同鞘にもどつでゆくのです。下げ相場のサヤは、典型として捉えれば以上のようになりますが、これはまたやはり典型にすぎないので、相場の「三段下げ」といわれる理論と同じように、現実の相場は必ずこうなるというわけではありません。しかし、記憶に新しいところでは、三十四年春からの下げ相場においても、下げはじめ(三月十七日の二番天井)は逆ザヤ、中段の目先底(四月十三日後場一節)は瞬間的に順ザヤ、あ

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と再び逆ザヤとなつて小戻しをみせたあと下げ続け中段の同鞘(五月十九甘)から順ザヤに変化、次に大きく順ザヤとなり(五月二十七日)欠第に大庭圏の同ザヤの現象をみせた(六月四日)というように六、五○○円から四、八○○円までの下げ相場において、はつきりとこういうサヤの変化をみせたようなこともあるのです。しかし、実際の相場にあらわれる変化には次のような特長があります。(1)天井圏の同ザヤといつても、それは、買人気が猛烈なため、大きく順ザヤになるのが普通です。小相場の目先天井においても順ザヤの値巾が一時的に犬きく開き、それからサヤがツブれる(縮まる)という現象をみせることが多いのです。(2)中段の同ザヤの現象は、たいていは下げ相場の末期にあらわれることが多いのです。三十年の一月に一万円を越した大天井からの大暴落のときも逆ザヤで下げ続け、中段の同鞘は七月の五千円附近でみられ、八月に五○○円もの順ザヤに変化して大底をうつております。(3)中規模の相場においては、順ザヤのことが多いのですが、逆ザヤにせよ順ザヤにせよ相場転換のときには、必ずサヤの縮少、または拡大の現象をみせています。三十八年四月の天井では四月十日からはつきりとサヤの縮少をみせはじめ、二日後の四月十

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二日に天井打ちとなりました。(4)大底圏の同ザヤ現象は、ほとんど瞬間的にあらわれるもので、前場や後場の一節に、先物が総悲観人気で売り物殺到したときなどにあらわれます。二十八年四月七日の大底も、前場一節に完全に同ザヤになつて、底を打つていますし、再び順ザヤは拡大の傾向をみせたのです。こればかりではなく、現実に品不足なのに当限には大量の品渡しがあるだろう、だから当限は暴落納会必至である。という人気のために、先物が安納会期待で逆ザヤにうりこまれることすらあるのです。こんなときは、あまりに人気が先走りすぎているときで、つまり心理的材料によって相場が人気化しているわけで、暴騰寸前という恐ろしいときなのです。

3人気とそのあらわれ
以上のサヤの形や、運動の説明の中で「人気」という言葉がたくさん出てきました。人気という言葉は私たちが日常相場に関係なく使つている言葉なのです。たとえば「誰々は人気のある女優である」というふうにもつかつていますし、「チエックの模様のシ

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ャッはとても人気がある」といえば、なるほどというわけになるのです。しかし「人気」とは何か、と改めて聞かれると、これまたなかなかむつかしい問題になつてきます。これを解決して相場の人気を考えましよう。普通に人気の性質としては次のようなことが考えられるのです。1非合理性つまり、人気というのは、正しい価値の評価ではなく、あくまでも間接的な噂や評判にすぎないというのです。2潜在性これは、人気というものはまだまだ、そのものが多くの人に受け入れられる態勢にあるときに、そういうのであつて、みんなに受け入れられてしまつたときはそういえないというわけです。3無限性人気の終着点には全くの目標というものはないということです。ただ、いつだかわからないが頂点に達したときが終りとなるだけだ、というのです。なるほど、人気というのは、流行と同じように、あまり理論的なものではないようです。またいついつ、どこまでという目標もないようですし、猫も杓子も、という状態になつたときはそれが人気の終りだ、ということもうなづけることです。すると相場についても、人気とは同じように考えてもよいのだ、ということがわかります。

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それは、相場は将来性のうえに成り立つているものだからなのでしよう。「買人気が強い」というときは、ほんとうは、まだ買つていないが、これから買いたいという潜在的な買気を温存しているときにこそいえることなのでしようし、それも連鎖反応によつて、どこまでで終りという限界があるわけでもないし、また、人気が盛り上つてゆくことは、それが必ず正しい現状評価として認められてきたことだとはいえないし、需給の状勢がそのように変化しているからだといえないこともあるわけです。

「人気」の二つの内容
しかし、実際に相場に直面してみれば、買人気が起きなければ相場は上らず、買人気がなくなれば相場は下つてくることはたしかなのです。ではありますが、私たちが相場に対して使つている「人気」という言葉は二つのちがつた意味をもつているのです。そして、この二つの意味は全く反対のもので、内容も正反対の事情をあらわすことになるのてす。そのひとつは、たとえば、相場の或る見方で「先物が時々逆ザヤになるのは、先行き需給が緩和されるだろうという人気のあらわれである」と云うときは、「いまの相場の状態は需要供

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給の現在と将来を反映している」ということで、相場は極く素直な状態にあることをいつているのです。だから、この場合には「人気」は自然的なものであるという内容であつて、いまの相場を肯定する意味をもつているのです。もうひとつは、たとえば「この相場は人気化している」というように使われるときです。この「人気化している」ということは「いまの相場の状態は実勢を無視してゆきすぎている」ということで、相場は或る程度不自然な様相をみせている、と云つていることになります。だから、この場合には「人気」は作為的なもので、いまの相場を否定する意味をもつていると考えられるのです。つまり、人気という言葉には、「現在の相場はまちがつている」という意味と「現在の相場は正しい」という意味のふた通りの内容をもつているのです。しかし、人気という言葉そのものが、いつも相場を批判するときに使われるものですから、どうしても個人的な見解としていろいろな見方が生れてくるのです。このことを、サヤのところでいい残した産地と消費地の問題に例をとつて考えてみましよう

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産地と消費地
第一章で例にとつた三月一日の寄付では、各地の相場は次のようになつていました。三月限七、○七O七、○九○七、一四○六、九三○四月限七、二○○七、二○○七、二七○七、一○○五月限七、三一○七、二九○七、三六○七、一九○(東京と大阪は同時立会、名古屋はそれより十分おくれ、札幌は東京より十分早く立ち会います)これをみると、札幌(産地)より、東京や大阪(消費地)の方が高くなつています。それは運賃がいるのですから当り前のことです。現物を輸送した場合には、産地の相場に運賃および利益(或る場合には倉庫料も加わりますが)を加えたものが、消費地の相場となるぺきものですが、定期においては、理論からいけば産地定期相場プラス運送料が消費地定期の相場となるぺきでしよう。これにも、別な見方があります。それは産地、消費地の比較は、一カ月づつずらさなけれぱな

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らない、という見方です。なぜならば、産地で品物を受けて、東京に持つてくるのだから、産地の三月限と東京の四月限とを比較しなけれぱならないというわけです。いつたいいくらかかるのでしよう。鉄道では東京(汐留)まで二三一円名古屋(笹島)まで二六二円大阪(梅田)まで二七六円で、舟も中継港によつて少しちがいますが、大体鉄道と同じくらいと考えてよいでしよう。すると、札幌と東京の定期は、この値だけ開いてあたりまえ、ということになりますが、なかなかそのとうりにはいきません。しかし、一応東京と札幌では二○○円内外は開いてもよいのでしよう。三月一日の産地消費地間のサヤはやや少い気味です。つまり産地と消費地は多少逆ザヤ気味ということができるでしよう。もっとも、こんな場合ばかりではなく、札幌と東京が同値のこともあり、もつとはげしいときは、東京の方が安くなることもあります。これは完全に消費地では下ザヤ(逆ザヤ)を売られているといえます。


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ことは、新穀の生長を好感して相場が下押すことと解釈してよいのですが、これもその年の相場の居処によつてあらわれ方はずい分ちがつてきます。高値で大取組になつたものが青田ほめといつしよに崩れてきたようなときは投げと軟派の売り崩しで暴落をしていわゆる夏の底をつけるものですが、安値で低迷している年の青田ほめは、ダメ底をつくるようになりますし、大きな上げ相場の途中の青田ほめは、ちよつとした押目をつくるだけで再び上つてゆくこともあります。青田ほめを必ずある相場のくせと思い込むのはよくないことで、要はやはり相場の位置と、そのときの事情によつてみていかなけれぱならないでしよう。

4、逆向いの可否

ところで先程もちよつと申上げましたが、天候相場には逆向い(さかむかい)が原則といわれているようですが、たとえば、天候の悪いときに売り、良いときに下げたところを買うというようにですね。

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−−それが通用するときもありますが、少し相場を大きな目でみると、とんでもない間違いであることがわかります。逆向いというのは何も夏相場の作戦だけでなく、いつでも保合相場についていえることですね。夏相場だつて同じで、目先的にみて、材料とか、ニュースとかいうものをどう作戦にとり入れるか、という観点からいつたら、たしかに逆向いが原則といえます。つまり「材料」とか、「ニュース」とかいうのは「知つたら終い」であつて、それが人気の出尽しとなることが多いからですね。夏相場というのは、相当に人気的要素が強いので、表面にあらわれた目先き的なニュースに気をとられやすいのです。しかし、あとで申上げるつもりですが〃材料にならない材料〃こそ本当の材料だということを考えて、目先の動きに迷つて因果玉をつくらないようにしなけれぱなりませんね。因果玉が結局は相場を大きくする原因になりますから注意が肝心です。そのへんを、もう少し具体的に説明して下さい。

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−-たとえば「霜が降りた」とか「洪水になつた」というニユースがあつて暴騰したとしますね。しかし、北海道全体が洪水になることはなく極く部分的なのです。霜でも同じようなことが多いんです、もちろん全道にわたつて降りることもありますが、たいていは山の霜道(しもみち)といわれる一定のところにおりることが多いのです。だから畑のないところによくおりますし、畑におりても一部分のことが多いのです。したがつて、もし極く一部分の洪水や霜のニユースで一時的に高値を出しても、それが天井になつてしまうことになります。それだから、本間宗久がいつた「新穀出初めては前年の心を離れ、その年の諸事情人気の次第を考えること第一なり」という点を、常に頭に入れておく必要があるんです。つまり、現物事情とともに今年の(新穀の)人気の状況をよく考え、それできちんと方針を立てることですもちろん実行の段になったときに、自分の得意な張り方を考えなくてはならないことはもちろんです。たとえば買方針を立てて、自分が利乗せが得意ならば、それを実行する。売り方針を立ててナンピンが得意ならば、それをその通りに実行するのです。

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ここで大切なのは、売りでも買いでも〃方針を立てた理由をはつきりさせておく〃ことですね。紙にでも個条書きにしておいてよい。そしてその書いた理由を時々みて、相場をにらみながら反省する。自分の立てた作戦の根本となる理由がなくなるまでは、基本方針どうりに玉を動かす。それとともに、根本となる理由がなくなつてしまつたならぱ、いち早く転身が大切です。いつまでも希望的未練にひきずられて引かれ玉を持つていてはいけません。まあ、冷静なときに、自分の立てた作戦はたいてい正しいもんですが、相場つきをみていると、えてして動揺するし、雑音をきくと変更したくなるもんなんですね。−−その点を貫ける人が相場に成功する人ですね。もし「逆向い」を馬鹿のぴとつおぽえでやつていると、途中の小さい保合相場やジグザグの相場で上手にとつても、結局は産を失うことになるんですね。二十九年や三十一年の上げ相場で、いつも買に片寄りやすい大衆筋が総売りだつたことを考えれぱわかるでしよう。それは、結局、値頃だけで相場を考えやすくなるのと、途中で逆向いしたりして二、三度ド

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テンドテンで上手にいつて得意になつているうちに引掛るんですね。一度因果玉をつくると、それが可愛いくなつて、目がくらみ、三本方針なんか忘れてしまうからです。

道楽息子ほど可愛いいものですが、こういつたときは、いさぎよく勘当するのが、結局は身のためですね。

−−そうですね。逃げを早く、というのは相場成功の鍵のひとつですけれど、特に人気で動く夏相場では強調したいですね。また夏相場は常に突発事件が多いものですから、あくまでも資金に余裕をもたせることが大切です。少し当つたからといつて有頂点になつて資金以上の無理をしなくとも、夏相場は十分に大山な利金が出来るものなんです。

5目立たぬ材料
前にちよつと出ました「材料にならない材料」について、具体的に…。
−−たとえば、霜だとか雪だ雨だとかいうと、みんなよく騒ぐけれども、毎日一度か二度ぐらい気温の低い日がつづいてもあまりさわがない。目立たないからですね。しかし、こういう気象が続くということが一番大切なんですよ。

小豆の収穣に大きな影響を与えるからですかね。だいたい、どんな天候がどういうふうにひびくんですか。
−−それですね。一般には温度ぱかりさわがれるけれども、種をまいてから収穫まで小豆の収量に影響を与える気象をその度合の大きいものから順に並べてみますと、1.七月の気温2.八月の気温2.七月の降水日数期年4.六月の日照時間5.七月の日照時間第6.九月の気温

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7、六月の降水日数8、九月の降水量9、八月の降水量10、六月の気温となつています。これからみると、六月の気温はそれほど大切ではないのですね。六月は日照時間が非常に大事になつていますね。それは苗の生育期だからそうなるのでしよう。また、豊作、凶作に決定的な影響を与えるのは七月半ばから八月にかけての気温ですが、これはちょうど生育から開花の時期に当り、結実を左右するからなのでしよう、このような点はよく注意しなくてはなりませんね。古い話になりますが、二十八年に、六月に日照時間が少く、七、八月に雨が多かつたのです。しかし気温は僅かしか低くなかつた。それを、皆があまり気にしない、たいしたことはない、としていたんです。しかし、九月に入つてから、そのトガメが出て大暴騰してしまつた。もし、いつまでも大したことはないといつて売り上つていたら、えらいことになつたはずですね。



なるほど目立たないが、日照時間も、降水難数も、気温と局じように、時によつては気温以上に大切なものなんですね。

とにかく、人気というものは浮わついたものですけど、それを冷静に分析すること、それを分析する基礎をつくること、また人気にとらわれないことが、結局は勝利を得ることになるんです。毎日晴れた、雲つた、雨が降つたといつていても何もなりません。何日、どのように推移してきたか、という数字的な記録をみている方がいいですね。そしてそれが人気を分析し、迷わされない基になすれけです。作柄が相場に本当に織り込まれるのは、いつたいいつからでしようか。前に述べた現物反省期のところで「ヒネの捨て場」ということを申し上げましたね。これは、新穀の見通しが次第に確定的のものとなつてくるので、ヒネは処分しようという気になつて、農家をはじめ、現物手持筋が、整理をすることを云つたものなのです。

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そうして、これが相場にだんだんあらわれてくるわけですが、時期的には八月の半ばで殆んど半分以上織り込まれます。だから、これが天候相場第二の反省期となるわけで限月は十月限が建つてからすぐですね。そうして、この十月限が当限となつて、現実に現物と顔を合せることになつて夏相場は終末をつげることになります。最初から云いますと、初期夏相場の作戦を立てる。そして第一の反省期−札幌祭前後、本格的夏相場の作戦を立てる。そして第二の反省期−十月限取組増加の頃終盤夏相場の作戦を立てる。ということになるわけです。



6夏相場の罫線
話はちがいますが、天候相場に罫線は通用しないとよくいいますが…・。
−−これは全く誤つた考えですね。そういうことをいうひとは罫線というものの評価を誤つているか、あるいは、罫線の見方が根本的に間違つた固定観念にとらわれているかの、どちらかでしょう。夏相場の特長は人気要素がつよいことですから、罫線が人気の動向を端的に示している以上夏相場は罫線が一番素直な動きを示すわけで、一年中で一番やさしい時期ともいえるのです。天井型にしろ、底型にしろ、それから、昔からいわれている売線、買線にしろ、いちばん典型的な型があらわれるのは、夏相場のときなんですよ。だから、夏相場では、簡単な売線買線一覧表をみているだけでわかるくらいです。ただ、基本的な作戦そのものがまちがつていたり、自己満足して罫線をみていたりしては駄目なことは、なにも夏相場にかぎつたことではありません。

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しかし、罫線のことはくわしくいえばきりがありませんからこれくらいにしましよう。

7大型相場に移るか

ところで、今年は、はじめから、人気が出始めて、前途洋々たる感しがしますが、見透しはどうですか。
−−八月限の発会は半年ぶりに六、○○○円台に乗せて、ここ一週間押しておりますが、先月の(五月)末に雪や霜でさわいだ反動が出ているようです。天候が回復して、暑くなつてくるともう安心といつてどうしても相場はダレてくるのですが、いままで天候が悪かつたという事実は歴然として残つているのです。今年(三十五年)の産地の気象は、二月に異常な高温をみせました。網走の測候所でも記録的な高温を出しました。それが四月半ばから崩れはじめ、道の東南部ではかなりの降雪があり多いところでは四十五センチも積つています。また冬に北方の高気圧が弱かつたことから、夏には北方の高気圧が強くなることも予想されるのです。五月の初めからの低温もオホーツク海の高気圧の張り出しによるものですし、これ
、で種蒔きが相当おくれました。とにかく現在(六月五日)までの気象は非常に悪いといわざるを得ません。七月にも再び寒冷な高気の南下が予想されるとのことですが、この時期は生育、開花期にあたりますから注意しなければなりません。また早冷(早く寒くなる)の懸念もあるとのことです。

そうすると、今年の夏相場は押目買方針でゆくぺきでしようね。

そうですね。もし天候の長期報が当つたとしても、相場がその通りに動くとはかぎりませんけれど、少くとも夏相場第一段階は押目買でしたね。それがいま、札幌祭という夏相場第一の反省期に差しかかつています、ここで、第二の作戦の立て直しをすべきです。まだ相場は弱含みですが、九月限が発会してからは再び押目買の相場となりそうです。それからは八月の半ばの第二の反省期まで、天候と本当の人気で動く素直な相場となるでしよう。今年は、


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三月の納会−−五、二二○円四月の納会−−五、四九○円五月の納会−−五、六九○円と、不需要期に向うにしたがつて、納会値が切り上つてきていることも、現物事情の逼迫を示していますし、何か相場の規模が何時もの年とはちがっていることを予感させます、七月には九月限が生まれますけれど、これは夏相場から端境相場に移るチャンピオンですからこの一代こそは、まことに興味ある相場となるでしょう。思惑も集中することになりそうですから、この発会の鞘とその後の鞘の推移、また九月限そのものの動きを重要視したいところです。一般には、もし、九月限が順ザヤで生れた場合、そのサヤが次第にツプれてくれば相場は弱いと判断できるし、サヤがツブれないでいれぱ強いといえるでしよう。また逆ザヤで虫まれれぱやはり弱いといえますが、次第に順ザヤになる傾向をみせるならぱ相場そのものは相当に強いと判断してよいでしよう。そしてその後のサヤ関係を十分に注意したいと思います、

今月は「四年目?」といラ期待人気も強いし、反面、

「もう小豆に凶作はあり得ない」と
いう弱気の勢力がぶつかりあうので、面白くなりそうですね。結局は、天候がいずれかに軍配をあげるのでしようけれども、いま伺つた基本的な作戦を頭に入れておけば、時期時期によつて、機敏な玉の入れ外しが出来ますから、まことに有益だと思いますね。旧態依然とした戦法とちがつて、今のお話は新しい小豆相場の考え方だと思います。

−−世界の農作物は周期的に豊作期から不作期に移りつつあります。これから小豆相場は大きく波を描くと予想されます。読者の皆さんが小豆相場で成功されることを心から祈ります。

どうも有難うございました。


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「一目惚れ」というのは、ただ何となく好きになつたということでしようし、「あぱたもえくぽ」というのはほれたら何でもよくみえる、ということでしょう。相場でもただ何となく買つてしまつた。そうして買つてしまつたら、何でも強材料にみえてしまう、ということもあるものです。しかし相場については、それでは成功はおぼつかないのです。そもそもの出発からまちがつていたのです。それをどうしたら少しでも冷静になれるか客観的にみえるか、ということを考えてみましよう。

1踏み出し大切の事

本間宗久秘録の冒頭に有名な次のような文章があります。
水商は、踏み出し大切なり。踏み出し悪しきときは、決して手違いになるなり。叉、商内進み急ぐべからず、急ぐ時は踏み出し悪しきと同じ。売買共に今日より外に商場(あきないぱ)なしと進み立つ時は三日待つべし、是伝なり。米の通いを考え、天井底の位を考え売買すべし是三位の伝なり。天井値段、底値段出ざる内は、幾月も見合い、図にあたるときを考え売買すべし商急ぐベからずとは、天井値段、底値段を見ることなり。踏出し大切とは考えの外のこと出ずるものなれぱなり。

さて、相場には売と買の二つしかない。すると当る確率は二分の一ということになります。しかし、それだからといつて儲かるか損するかという確率も二分の一かというと、そうではな


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いのです。当る確率が二分の一とは、極く目先をいえば、いまの出来値から、この次の節は上か下かということ、または大引はいくらかということ、もう少し先をいつて、これから結局はどのような動きをしてゆくか、多少の下はあつても上に歩があるのか、それとも下なのかということであつて、いざ玉をどのように建てて、どの程度利益になるかということとは別問題のことになるのです。こういう云い方は誤解されるかもしれません。が、手仕舞というのは自分の意志でするもので、納会で仕方なしに手仕舞するのは、自分の意志ではないのです。もちろん、最初から納会で手仕舞するつもりならばかまわないのですが、相場は仕掛けるときも、手仕舞するときも、みんな自分の意志で行わなけれぱならないのです。だから、当つた確率が二分の一というのはまだ手仕舞しないうちの確率なのだ、ともいえるでしよう。「踏み出し」ということは、もちろん、出発点における心がまえについていつているのですが、それとともに心がまえをきめさせるひとつの方法についてもいつているのです。また、「急くべからず」というのは、感情に走つた判断をしてはならないということで、考えを実行に移す筋道をいつているのです。
考えを実行に移すこと、このことを、具体的に考えてみたことがあるでしようか。とにかく、これはひとつの技術というか、技法というか、机上の理論とは別な段階にあることにちがいありません。しかし、理論から出発していることはまちがいないことです。つまり、売るにしろ買うにしろ、無意識的に注文する馬鹿はいないわけです。必ず「こうこういう情勢である」だから売りである、買であるという筋道をたてて実行に移したにちがいありません。これはズブの素人でもソウソウたる玄人でも同じことです。しかし、その方法は−−それはやはり経験と、知識と、技術によつて−−相当な差ができてしまいます。
2相場の波を泳ぐ
このことを水泳にたとえて考えてみましよう。いま舟の上にいます。そして相場の波の様子をみながら泳ぎたいと思つているのです。しかし舟の上にいるのは自分ひとりだけではなく、その外にも大勢いるのです。そして、波の判断


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の仕方はひとによつてちがつているのです。また、各人によつて好きな波、きらいな波もあります。泳ぎ方にも得意と不得意とがあります。平泳しか知らない人もいればクロールが好きな人もいるのです。これがもし、競泳ならば、自分の体の調子や、波の具合の如何にかかわらず、みんなと一緒に飛び込んで泳がなければならないのですが、相場の波はちがいます。いつでも、自分が「泳げる」と確信がついたとき、すなわち、波の具合をしらべ、これからくるかもしれない大小のうねりを考え、さらに自分のあらゆるコンデイシヨンを整えて、最良の状態のときに、自分ひとりで、自分のいちばん得意な泳ぎ方で、自分の好きなだけ泳げぱよいのです。もちろん、競泳ではないのですから、目的地があるわけでもなく、時間をはかつているのでもありません。いつでも泳ぎをやめるととができるのです。そのときに、アツプアツプしたとしても、また満足したとしてもそれは他人には関係のないことにちがいありません。波の具合もしらベずに、体の調子もととのえずに、むやみに飛び込んだら、おぼれない方が不思議なくらいです。また各人それぞれの泳ぎ方があるのに、ためしに泳ぐのならば、岸の方で泳げぱよいのに、深いところでそれを、練習もせずに飛び込んでやつてみたとて、それは無理なのです。お世辞のよい外交さんにおだてられて、いい気持ちになつて飛び込んでから、アツプアツプしたつて、もうあとの祭りなのです。そんな言い方はひどいといわれるかもしれませんが、最終的に責任をとるのは自分なのです。外交さんではありません。外交さんは、水泳の達人であるはずもなく、また人工呼吸をしてくれる医者でもありません。ことに、外交さんの任務は、相場の勉強そのものではなく、お客から注文をたくさんとることだということを考えれば、やはり、自分で納得のいく波のくるまでまた、自分の最良のコンデイシヨンになるまでは飛び込んではならないのです。また、人から聞いた泳ぎ方は、自分で完全に会得するまでは、勝手にひとりでやつてはなりません。不測の事態、急に横波がきたり、波が冷たくなつて足がつつたりしたとき、まごついてそれがおぼれるもとになるからです。とにかく、それも生兵法は大けがのもとということになるからです、どんな泳ぎ方でもよいのです。他人がみたらおかしいと笑うのでもよい、自分で自信のある


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泳ぎ方で、泳げると確信のついたときに飛び込めばよいのです。他人より何分、何時間早く飛び込んだということは絶対に自慢にしてはなりません。相場にとつて根本的な問題は、幾らの値段で買つたかということではなしに、自分が相場の波に乗つているかどうか、ということなのであるということを考えなければなりません。
さて、飛び込み、泳ぎは、知識だけでなく、技術も必要なことはわかりました。たしかに百万の理屈を云おうとも、それは畳の上の水練にすぎないのです。だから、相場というものは、いろいろな方法を知つているだけよりも、実行できるひとつの技術を確実に身につけた方が勝になるわけです。
もし、相場技術のひとつを身につけたならば、その技術で出来る相場がくるまでは、何カ月でも待つていればよいのです。もちろん、体力や、性別や、容姿に制限があるわけではないから、技術も特殊な人達にしか習得できるものではないのですから、それは、知識と心がまえの集積と習練によれば誰でも身につけることができるものなのです。
たとえば、相場は一年に二、三度チヤンスをねらつてやれぱ必ず勝つ、年がら年中やれば駄目にきまつているといわれていますが、そんなことはありません。一年に二、三度、よく研究し、考えて出動するのですが、〃出ると負け〃の人もいますし、玉がないと淋しいといつて年がら年中売つたり買つたりしていながら、結構儲けている人もたくさんいるのです。それは、やはり、知識と技術によるのですし、何よりも泳ぎ方が自分自身のものになつているかいないかが問題なのでしよう。泳ぎ方は「相場の技法」の章で述べるので、ここでは踏み出しの技術について考えてゆきましよう。

知識から技術

相場は大局的にみれば、需要供給のバランスの表現であるといえますし、このことはまちがつてはいないのです。だから、需給の推移が根本的なものであるということは、それから相場を考えていかなけれぱならないということでしよう。だから、売買までの筋道をみると、次のようになるわけです。


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需給統計

需給推計
相場の分析
相場の予想
売買の仕掛


こんなめんどくさいことを、といつて驚くことはありません。

何も、細かい統計資料をつくつてそれをおぼえなくともよいのです。そんなことは新聞や雑誌にいくらでも載つております。大事なことは、その新聞や雑誌にのつている一週間なり一カ月なりの統計や数字は断片的なものにすぎないので、それを断片的なものと承知して受け取りさえすれぱよいのです。ひとつの統計や、ひとつの相場分析のみに、こだわらないことです。それにこだわると、相場を全体的にみることができなくなつてしまうからです。「鹿を追う猟師山を見ず」という諺がありますが、相場においても同じこと、いやそれ以上で、部分的な知識やニユースそれを私たちは「材料」と呼んでいるのですが−−にのみこだわつていては、大局を見失つてしまうのです。需給統計や需給推計は何によつてなされるかといえぱ、生産量、輸出入、作付動向や豊凶でしよう。また相場の分析や予想は、採算(生産価格、輸出入価格)や出周りや政治経済状勢(政策、金利、為替、国際状勢)や、またもつと細かくいえば気配(現物や産地消費地や競合品の)や仕手関係などから生まれてくるのですし、また需給の推計と密接な関係をもつているでしよう。そして、この統計−推計−分析−予想−仕掛という筋道の上の方は知識的要素によるのですが、下にゆくにしたがつてだんだん技術的な要素がつよくなつてきます。
相場の分析から仕掛けに至るまではどうすればよいのか、これが踏み出しの技術面になるわけです。
ここでは、踏み出しの技術面について述べるわけですが、その前に「材料」についてちよつと考えてみましよう。

3材料というもの
相場を動かす原因は目先的にみればあまりに多くて、分類することさえ出来ない状態です。だから、これが唯一の決定的な原因というものはありません。


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また、「需給はすべての材料に優先する」ということは事実ですが、それは根本的にということで、どんな材料よりも現実の需給関係の方が相場に大きな影響を与えるということではないのです。だから、需給にだけこだわるのは、あるひとつのニュースや情報を聞いてきて、それだけにこだわるのと同じように、相場をみる最初から錯覚をおこしているようなものなのです。それだからといつて、いろいろなニユースや新しい材料を否定しているのではありません。それどころか、相場というものは「はじめに材料あり」とでもいえるように、動くきつかけは何らかのニユースによることが多いのです。ただそれが正しいニユースだとしても急激に相場にひびいてくるか、それとも、次第に相場に受け入れられるのか、また全くぴびかないのかは、その時々の相場の状態によるのです。それどころか、相場にひびくひびき方さえも、正反対なひびき方をしてしまうことさえあるのです。たとえば、相場にとつて強材料となるニユースが入つたとき、その瞬間に一たんは上つたがそれが終りとなつて下りはじめることさえあるのです。三十三年五月に長崎の国旗事件から中共貿易停止となつたニユースは、これから中共小豆は人つてこないのですから、誰が考えても強材料にちがいみりませんし、いままで誰も知らなかった材料にちがいありません。果して、翌日は暴騰となつたのですが、それが「知つたらしまい」「人気の出尽し」となつて、その日の寄付を天井として大暴落相場に突入したのです。その理由は、あとから考えれぱたわいもないものでした。中共からは、一月からそれまでに前年一年分の輸入量の倍くらいのものがすでに輸入されており、これが市況を圧迫しはじめた時で、おそかれ早かれ下るべき運命にあつたのです。それが、貿易停止のニユースで、それこそ総強気になつたのですから、「人気の出尽し」になるのが当り前だつたのです。これは正しいニユースが、相場へのあらわれ方が逆になつた例で、正しいニユースでさえ、この通りなのですから、私たちが「材料」とか「情報」とかいつている毎日のいろいろな新しいニユースは、それが相場に対してどういうひびき方をするかということは、全く想像することも出来ません。どうしても、自分ひとり勝手にりきんでいることになつてしまいます。ましてや、そういう「材料」がいつたいほんとうなのか、デマなのかさえも判断がつかないことが多いのです。


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そして、市場では、あらゆるニユースは、材料となるのですが、残念ながら、正しく伝えられることは少いのですし、また正しく伝えられないように出来ているのです。その理由はこうです。(1)市場に出入する人びとは、つねにニユースを探しています。そして寸刻を争つていますから、本当のニユースと単なる噂とを見分ける余裕なんかありません。(2)どんな二ユースでも、いろいろな見方から検討しなければならないのに、相場に携わつている人たちは、直接影響のあると思われる面しかみません。しかし、そのほかの面がやがて相場にはね返つてくるのが普通です。またニユースは、それが発表された時だけ影響するのではなく、ある期間にわたつて影響してゆくこともあるし、そのときは何も影響せず、あとになつてからだんだん強く影響してくることもあるのです。しかし、みんなの重要だと思わなかつた面が相場に影響を与えてきたときや、後になつてからひびいてきたようなときは、みんなはそのニユースを忘れてしまつているのです。(3)相場をやる人たちはニユースを経済的な面から見るだけでなく、弱気か強気かで判断しなければならないのです。しかし、ニユースによつては、はつきりとケジメのつかないものもあつて公正な、判断のむつかしいものがあるのです。そんな時は、無理に一方的に判断しようとしてまちがつてしまい、不安になつてしまいます。(4)相場には味方がありません。今日は味方でも明日は敵になるのですから油断はできません。権謀術数という言葉どうりですから、いつも気が張りつめており、自然に不安になつてきます。(5)ひとつのニユースが売方にとつて有利ならば、必ず買方にとつて不利になるのです。だからこれを利用して双方とも怪しげな宣伝をします。そして宣伝とニュースとの区別がつかなくなつてしまいます。(6)デマというのは出所が不明なのですから、「それはデマだ」といつても、誰も受付けてくれません。どうしてもデマを否定する内容のデマを作つて宣伝しなければならなくなつて、ますます複雑になつてしまいます。「相場はニユースを食つて生きている」といわれても、私たちはそれに奔弄されてはなりません。
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ましてや、「踏み出し大切」といわれる仕掛けを単なるデマや独方よがりな独断ではじめては勝利はおぼつかないことはもちろんです。相場の分析から仕掛けに至る筋道は、絶対にひとつの筋としてつながつていなけれぱなりません。それが切れ切れであればあるほどデマや独りよがりな解釈のことが多いのですし、それでは相場を見る第一歩から誤つてしまうからです。細かい統計が専門でもなく、来年の需給推計を論じても仕方のない私たちが、どうすれぱいろいろな材料を或る程度正確に判断できて「踏み出し」の自信を得ることができるのでしようか。
4踏み出した理由
まず、ひとつの方法を提案しましよう。それは新聞をよく読むことです。しかし慢然とよんではなりません。また一日だけ読んだだけでもいけません。新聞は非常に客観的に、また正確に書かれでいるものですが、人間の書くことです。多少は主観的要素が入つてしまうことは仕方がありません。また、月刊誌とちがつて、毎日発行されているものですから、内容も細かく、正確ではありますが、非常に断片的になつています。目先きにすぎるし、系統立つた知識とはならないのです。しかし、その正確さと客観性を生かすことが出来れば、誰に聞くよりもよいにちがいありません。もしあなたが白紙の立場にあつたとしましよう。いや、あなたが判断することができるならぱ白紙の立場でなくてもよろしい。新聞を少くとも一週間分続けてよむのです。そして、その中に書かれている状勢を分析するのです。まず、それを順序をつけなくてもよいから書き抜くのです。しかし、それには多分に目先的な状勢判断もあるでしようし、大勢的な材料もあるかもしれませんがぞれでよいのです。とにかく書き抜いて並ぺてみることです。それといつしよに、その中に断片的に述べられてある強気の見方や弱気の見解を個条書きにして対比させるのです。たとえば、本年(三十八年)四月中旬の東京の新聞から書き取つてみましよう。1当限の買方は場違いの買が多いのに対して売方は実弾筋が顔を並べている2納会は清算筋、サヤ取り筋の大量品受けで小高く納会予想
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3四月中の東京の入荷二万五千俵と少いが、月末在庫は十六万俵を越し、全国消費地合計は四十万俵程度となる予想4三月中の小豆輸入量は六○○トン、雑豆合計で約一万トン、四月以降は漸増の予想5安い輸入物の出回りで売行きは極端に不振6消費地の在庫は多いが、三月末で九十一万六千俵の移出検査数量をみれぱ、産地の供給余力はほとんどない7多少は高値をみせても不作予想で農家の売腰つよく、手放さないだろうとみる向きがほとんどである8買の好きな素人筋も、手亡との比較観から高値は売りたい様子だし、産地業者筋も値が張れぱ売りたいが、売る手持ちがないというという具合にいろいろな角度から現状を分析されており、強気めいたニユースも弱気の材料もとりとめもなく述ぺられているわけです。だからもし、これを毎日見て、一喜一憂していてはとうてい体がもちません。ひとつのニユースにこだわるなというのはこのことです。さて、この書き抜いたニユースをもとにして、自分で踏み出すための強気の材料と弱気の材料に分析してゆくのです。たとえば、統計から推計への段階では、三月の小豆輸入量が六○○トンということは二月の一七九トンにくらべて多くなつてきた。これからはどうか、他に書き抜いたメモをみると、これから漸増、五月以降は新規契約分が入つてくるので相当多くなる、とのことだから、これは弱材料になる。また目先の仕手関係としては、取組は相変らず場違い筋の買か多く、また高値で取組みがふえたから一応弱材料、しかし、これは産地が亮れば実弾だが、一般の売は空(カラ)だから、それを消化してまで高いようなら、まだ上値が望める。という具合ですが別にこのようにしなくとも、それは各人の勝手に対比してよいのです。そして、強材料、弱材料を対比させたら、ぞれをぴとつひとつ検討し、納得のいく分だけを残してゆきます。書き抜き−−分析−−検討という段階を経て判断すれば、或る程度客観的な判断ができるでしょう。そして、最後に売りか買いかの結論を出すのです。ここで大事なことは、その理由を忘れないことです。売りか買かの理由を紙に個条書きにして説明を加えていつでも読めるようにしておくとよい

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でしよう。相場を誤るのは、新しい材料に迷うからですが、もし自分が、いま買つた(売つたでもよいのですが)理由がはつきりしていれば、それと比較検討して多少とも正確に判断できるはずですから、そのために、理由をはつきりさせて踏み出したのです。このように理由をはつきりさせて踏み出したのですから、退くときは、1玉を建てた理由が全く誤つていたとき2理由が消滅したときということになるわけです。極端なことをいえば利益は問うところではない、ともいえましよう。しかし、私たちの最終目的は「利益を得ること」なので、それにはさらに売買方法の技術、つまり泳ぎ方の技術が必要になつてくるわけです。

第五章売買の技法 底と天井ーー部分的な戦術−−難平の基本−−難平の実際−-利乗せの根本−−少量づつの買乗せ−−相場は相場に聞け−−投げと踏み
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「相場の心構えしについては数えきれない程の本があります。しかし、具体的な玉の建て方について書かれたものはないのです。それは戦術を具体的に書くにはあまりに多岐多様にわたるからなのでしよう。しかしここでは、なるべく具体的に小豆の戦法について、根本的な考え方と、戦術を書いてみました。その通りにしなけれぱならない理由はなにもないのてすが、何にでも通ずる基本というものはしつかりと掴んでいただきたいと思います。
1底と天井
底で買つて天井で売るということが相場の理想であることは誰でも知つています。誰でもそうしたいと願つています。他人はどうともあれ、自分だけはそうありたいと思つているのですが、いざやつてみると、これほどむづかしいものはないのです。勉強不足という理由は別にして、人間の欲望が理性の目をくらませるという相場の特有のむずかしさ、ということも考えられます。しかし、大体天井とか大庭とかいうものは現実に存在しているかどうかわからないものだからむづかしいのだ。ということを考えてみたらどうでしようか。こういうと、そんな馬鹿な、といわれるかもしれません。お前は相場が、下手で、天井や底がみつけられないから負けおしみで去つているのだろう。と皮肉られるかもしれません。しかし、よく考えてみますと、底というのは、下げ波動が上げ波動に移つたときの最低部がそれであつて、これは如何に冷静になつていたとしても、底をついたそのときには、これが底第であると決定できる何の要素もないのです。

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猟師が鉄砲を構えて待つていて、獲物がきて引金を引くその一瞬、とわけがちがいます。相場においては、上げ波動に入つてから、はじめて底が入つたといえるので、大庭の一点というものは幾何学でいう点と同じように理論上は存在するが、現実には存在しないもののように思えます。もちろん、あとになつてからならぱ、ここが底であつたと指摘できるのですが、動きつつある相場の大底の一点を意識してつかまえることは出来るはずはないといえます。如何に練達の相場師であつても、底値で買つて、天井値で売り抜けるということは不可能なはずですし、もしできたならば、それはまぐれ当りなのだといえるでしよう。だから、底で買い、天井で売るてとが出来たという方は、それこそ「した」のではなくて、「できた」ので、たとえばナンピンで買い下つていたときのほんの一回が偶然に底にぶつかつたか、または、指値を出しておいたのが買えて、それがたまたま底値であつたとかいうくらいなもので、底そのものはつかまえようとしてつかまもるのではないでしよう。天井で売るというじとでも同じことです。もし、最初から天井で売りたい、と思つて相場を仕掛けるならば、売つては踏み、売つては踏みを、くり返しているうちの一回が運よく天井に出合うか、資力にかまわずナンピン売り上りの方針をとつているうちに天井をつかまえるか、極端なことをいえばこのような場合しかないといえます。
しかし、ここで「ナンピンで買い下る」、とか「売り上る」という言葉を使つたように、ここらあたりは天井に近いのではないか、もう曲り角は近いだろう、とか、これから下はいくぱくもあるまい、底値に近づいてきている、買下り方針がよいのではないか、などと、或るぱくぜんとした判断は出来ることなのです。私たちは研究の成果によつて、このぱくぜんとした判断、すなわち、天井圏内とか、底値圏内を掴み、その精度を高める努力をするとともに、相場技術としては、曲り角の少し手前から出動して建玉の平均値を有利に導くような方法をとるか、あるいは、天井をうつたとか大底を入れたとか、とにかく、曲り角を越したという判断をしてから、その波に乗つてゆくかのどちらかの方法をとるよりほかはないということになります。前者は「ナンピン」と呼ばれ、後者は「利乗せ」といわれているのです。
知識と経験 さて、「百聞は一見にしかず」という諺がありますが、相場においてもこの諺はあてはまります。相場の勉強をするのに、本を読んだり、罫線を引いてみたり、立会の見学をしたりしても、
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1それだけを何十年続けたとしても相場の技術についてはなにも得るところはありません。それどころか、それだけでは、畳の上の水泳の練習と同じことで、いや、それよりも悪いかもしれませんが、とにかく片よつた知識となつて固まるだけで、生きている相場の実際とはかけはなれてしまうだけです。相場というものは、たくさんの机上の勉強が必要ですし、また欠くべからざるものではありますが、それとともに自分自身で経験してみることが、どれくらい大切なことであるか、それは他のいかなる仕事(?)にも例をみないほどであると思われます。よく、罫線研究家とか、相場観測家とかいわれる人達の中には「自分は研究に一身を捧げている。利益は問うところではない。相場を張れば、自分の玉にひかれて判断を誤る。だから私は相場をやらない」という人がいます。しかし、碁をうてない碁の研究家がいないと同じように、相場を張ると判断を誤る、と公言する人は、やはり相場を張らなくとも曲る(外れる)人なのです。「碁を打つと負けるから、私は碁を打たない。碁の研究だけをする」という理屈は少しおかしいのと同じことです。岡目八目という言葉は側でみているとよくわかる、という意味なのですが、ほんとうはよくかるのではなくて、責任のない者の気安さをいつているのかもしれないと思うのは少しひねくれているのでしようか。碁の研究は、打つためにこそするのであつて、打たなければ役に立たないではないか、と思うのです。とにかく、一枚の玉でもそれに夢を託して、計画を立て、売買のチヤンスをさぐり、喜怒哀楽を共にし、それに悩み、それによつて冷静と忍耐と果断と勇気を学びとることは、どんな貴重な体験になるか、やはり、「百見は一行にしかず」というのが相場なのでしよう。だが、この〃百見〃についてはそれこそ百万冊の本がありますが、〃一行〃については書くことはあつけないほど簡単になるのです。(建玉の増減の技術、乗替えの技術と細かくみれぱやや複雑になりますが基本としてはごく単純になつてしまいます。それは、相場を張る、つまり玉を建てる前には、いんいろな材料を分拒したり、罫線を広げて過去の足どりをにらんでみたり、仕手関係や市場の人気の具合を聞いてまわつたり、出来高や取組の増減を研究してみたり、自分の資力を計算してみたり、あれこれとしなければならないことはたくさんあつて、とにかく、そこから各人各様の考え方と見通しとが生れてくるのですが、いざ実行に移す段惜になると、その技法は二つのうちのひとつしかえらベない、もちろ

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ん両方とも使つてよいのですが、とにかくニつしかない。それが「ナンピン」と「利乗せ」ということになるのです。2部分的な戦術 戦法には「ナンピン」と「利乗せ」のニつしかないと述べた。すると「押目買」とか「戻り売り」とかいうのはなにか。また「順張り」とか「逆張り」とかいう言葉もあります。「押目買」というのは、相場が上げ歩調になつている、という前提のもとに下つてきたところ、つまり上げ波動の途中にあらわれる安値(押目)を待つて買うもので、「戻り売り」というのは下げ歩調のときの途中の高値を売ることですから、これらは売買の場所をみつける考え方をいつているので、戦法上いう点からみれば「ナンピン戦法」に属しているでしよう。「順張り」と「逆張り」はどうかというと、これは或る程度、戦法のことですが、相場の規模を考えて、部分的な売場、買場の見方を云つているのです。「順張り」とは、ここは「成り行き」で買わなければならない場所である、またはそのような相場になつていることを指し、「逆張り」とは、まだ保合相場の範囲を出ていないから高ければ売り、安ければ買うという部分的な戦法をいつているのです。 しかし、これらは具体的に建玉の増減を指示しているのではないから、ただ観念的な戦法、つまりやり方の考え方を指していつているので、建玉の技法をいつているのではないことになります。さて、難平は波動の曲り角の少し手前から、つまり相場に逆らつて出動し、建玉の平均を有利にする方法で、利乗せとは曲り角を越してから、つまり相場の動きについてゆきながら、建玉の平均値を有利にしてゆく方法であることはわかりました。この二つのうちどちらがよいか、というとそれは一概にはきめられません。機にのぞみ、変に応じて両方とも活用できればそれにこしたことはないのですが、人によつて好き嫌いもあり得意不得意もあります。それどころか、この本の最初で述べたように「自分に出来る泳ぎ方で自分ひとりで」泳げばよいのに他人の泳ぎ方を聞いただけで飛び込めば、アツプアツプするのが関の山で、何でもできるという人は結局何にも出来ない人と同じことだという〃器用貧乏〃は相場についてもいえることなのです。これから具体的な玉の建て方のいろいろについて筆者自身の好き嫌いを度外視して、それぞれの技法の根本を考えてみたいと思います。読者も、それぞれの方法の自分に合つたところ、またなるほどと思うところだけを会得し、
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自分のものにすればよいでしよう。
3難平の基本
本間宗久の「三位の伝」の一節に次のような章があります。二つ仕廻、三ツ十分、四ツ点じ、是れ三位の秘伝なり。ここでいう、ニッとか三ッとかいうのは相場の勢いの段階のことで、四ッというのは相場が第四段階のときを指し、それは、ほんの人気の作用で余力を駆つている行き過ぎの相場を意味しています。仕廻りとは、〃仕切り〃すなわち手仕舞のことで、つまりこの章は相場の第二段階から建玉の手仕舞をはじめて、第三段階では全部を手仕舞つてしまう。そして第四段階にきたなら「転じ」すなわち、いままでとは反対の仕掛けをはじめなけれぱならない、と教えているのです。これが現在のナンピンのことで、本間宗久は相場が少しでも実勢の裏付けを持つている段階では転じてはいけない。人気の、それも行き過ぎと認められる場合にこの戦法を用いよと述べているわけです。しかし、ナンピンに難平の字があてはめられているように、それは難局を切り抜けて平担なものにする最上の策と思つている人もいるようです。そうではありますが、相場が自分の見込みとは逆に動いた場合にとるべき手段としては、普通ならば、あつさり手仕舞すべきであるが、もし自分の見方に正当な理由があつて、早晩その線が実現すると信じられる場合にかぎつて、難平を用いるべきである。それを利乗せと並ぶ戦術として用いるためには、偉大な相場師たちの大きい努力があつた。それは、人気に逆うことを以て相場の本道であるとする相場師の出現なのである〃岩本岸氏「繊維相場の見方」といわれているように、難平はあくまで意志的なものでありながら、ただ相場に逆うのではなく、偏りすぎた人気に逆うのでなければならないのです。だから、計算されたナンビンは意志的どころか、非常に第三者的で冷静であつて、自己を殺した戦法であるというこどができます。ただ、「絶対に損をしない戦法」と考えて、むやみにナンピンに頼ろうとするのは、全くおろかなことで、また相当な危険を覚悟しなければなりません。


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倍増しナンピン
たとえば、いま六、六○○円で十校売ります。そうじて間じ枚数を百円毎に売り上つてゆくとしましよう。つまり、一回目は六、六○○円で十校売り、もし相場が上つてしまつたら(売つたのだから、下れば建玉は利益になる)百円上の六、七○○円で再び十校売つて、平均売値を六、六五○円にしておく、さらに相場が、六、八○○円に上れば三回目の十校を売る、という方法でこれは「ナンピン売上り」といわれています。すると十回目の値は七、五○○円、建玉合計は百校となりますが、問題は平均値です。計算すると七、○五○円になりますが、これは売り上つてきた下の値から上の値までの丁度半分のところですから、そこまで相場が下らなければ建玉全部は利益上はならないことになります。俗にいう「半値押し」以上を期待しなければなりません、もつと平均値を上げる方法はないだろうかと考えてみましよう。(ここでは「ナンピン売り上り」に例をとつているので、平均値を上げることを考えるのですが、「ナンピン買下り」の場合は平均値を下げることを考えなけれぱなりません。)倍増しナンピンといわれる方法があります。つまり前の倍づつ売玉を建てる方法です。

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これは、いわゆる賭け事でいう「倍賭け」のことで、ルーレツトの賭けの一法として名高いのですが、その源流は数学の確率論なのです。一回目に千円儲ける。もし負ければ次は二千円、次は四千円というふうに倍づつ賭けてゆけぱ絶対に負けないというやり方なのです、たとえば四回目の八千円のときにはじめて勝つたとすると一万六千円戻つてくることになりますが、いままでに賭けた金の合計は一万五千円となるので、差引き千円つまり、最初の賭け金だけは必ず儲かることになるのです。なるほど、これは絶対に負けない方法にちがいありません。たとえ、言回たてつづけに負けても、百一回目に勝てば一挙にいままでの損をとり返せるのです。そのうえ、最初の賭け金だけは利益となります。 だが、現実にこの「倍賭け」の方法が出来るでしょうか。最初の金はたつた千円ですが、百回はおろか、五十回、いや四十回でも続けることは三井だつて画ロツクフエラーだつて出来ることではないのです、四十回負けると四十一回目の賭け金は何と一千七十九兆五千百十六億二千五百西万六千円と驚くべき多額になつてしまいます。三十一回目でも一兆七百億円を越えてしまいます。二十回目ですら五億二千四百万円となり
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そしてもつと大へんなことは、それまでに員けたのは全部損勘定になつていることなのです。だから、実際問題としては十回もつづけて負ければ資本力よりも先に気力がなくなつてしまいます。だから、この倍増しを相場に応用したとしても、それは出来るようで全く出来ないことになるのです。 前と同じように、六、六○○で十校売る。そして百円毎に倍ずつ売り上ることにしてみましよう。なるほど売玉の平均値はずつと上になつてきます。十回目の七、五○○円を売つたときの平均売値は七、四四○円となつて、前の方法の七、○五○円の平均とはくらぺものになりません。半値打しなんかしなくとも、たつた六十円下れば全売玉はトントンになり、それ以上下れば、利益勘定になつてくるのです。だが、十枚の次は二十枚、次は四十枚と倍増しに売り上つてゆくと十回目には果して何枚売らなけれぱならないでしようか。五、一二○枚となるのです。そしていままでの売玉合計は一万二百三十校となり、この必要証拠金は一枚三万円としても軽く三億円を越してしまうのです。また、このナンピンの最大の欠点は、健玉の総平均値は常に相場に対して引かれ玉になつていることで、いつも損切り計算の玉を抱えていなければならない、という切なさがあるのです。
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確信をもつ理由〃がなくなった。それが消滅してしまづたか、あるいは、完全に見jみ。可いギガった。という以外は手仕舞−−それが利金であろうと損切りであろうと−Lすパきではなくて、ただ相場の規模の見込みちがいならば、戦術の変更で事足りるものではないでしようか。「相場つき」というはなはだ暖味な言葉は、よく市場で使われているのですが、たj相場つきかわポいから売り、良いから買うといブやり方では、それが一般の人気と同しゆき方をしているめですから、どうしても天井を損い。底を売るということをくり返すだけになってしまい、ます。損を少くしてまた再起をはかれケように、そして、自分妙建玉に禾凍をもってしまう弱さを救うために、逆指し(ぎギくさし)という方法iよく行われますこれは、たとえば、買玉を持って相場は上伸うるという見込みをつけてはいるのですか、Iどうし工ガ上らなくて下ってきたと意、いくらいくらの値を下回ったら(以下になったら)売り手仕舞する与いう指値のことで、普通は十月指値はいくら方上というのを、これはいくら以下というので逆・の字をつけて逆指値といわわ℃いるわけです。/般に行われている逆指しは前の安値を下回ったら投げ、前の高値を上抜いたら踏むというものですが、これが完全に相場の大勢転換、の重要点であることはまずありません。それどころか、その値のところは、誰でも投げたいところ、踏みだいどころで、市場の人気と一致してしまうことが多いのです。だから投げたと〆一ろが、投、げ終りとなって、そのトタンに底をついて暴騰してしまうということが多いのです。ィつまり、潰分で因果玉の一掃に力をつくしたという馬鹿な結果になってしまうわけです。もしこのような逆指しを、証拠金を保全する意味だけでやるならぱ、買値から二言円とか三百円とか機械的にきめておいて、それだけ引かされたらとにかく投げてしまうという逆指し、方が、なまじっか一般の人気に同調しないだけ有利なことが多いのです。もちろん、手仕舞の原則は、前にも述べたように「玉を建てた根本的な理由がまちがったかあるいは消滅した」ときになすぺきだということは知っています。法校しかし、引かれ玉をかかえた神ならぬ身に冷静な判断の完全を要求する方が無理だといわれの潰るかもしれません。士鬼そんなときの私たちは、相場師八11ドの言葉を借りると「彼はすでに傷ついて、精神的章黄にまっすぐな考え方をすることが不可能になっている」のにちがいありません。携もし、多少とも、このような状態になったときはどうするか、考え方をまっすぐに直すには
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どうしたら私よいのでしようか。それは、少しの冷却期間をおくことです。つまつ「体む」のです。これが最良の方法です。私たちの人生は不幸にして一刻も休むことが出来ません。だから、自己超越が、なかなか困難です。そこへゆくと、相場においては、体むということができるのは消極的ですが、自己超越の方法だということを忘れてはなりません。相場は逃げることもなけれぱ無くなりもしません。だから、成功を急ぐことはないのです。兎と亀にたとえるならぱ、相場の社会の成功者は派手にみえる兎よりものろい亀が多いことは、、賢明な読者のよくおわかりのことと思います。「休む」ということは、だから負けたことではありません。無定見に相場に逆うよりも、一歩どころではなく、百歩も二百歩も前進したことに外ならないのです。進むことを知つて退くことを知らないのは匹夫の勇です。「休む」ということは次の勝利を約束するものだ、ということを知らなければなりません。(ナンピンについては「売り」を、利乗せについては「買い」を主として説明しましたが反対の場合についても同じことになります。また引用した各氏の名前については歴史的人物としての見方から敬称を省略しました。)
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第六章仕手相場の周囲
買占め事件−−思惑ということ−−吉川商店の買占め−−買占めと玉締め−−手締めとそのチヤンス−−一売り崩しとその他の仕手相場−−心理的策戦−−市場間の操作

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仕手相場というと、大手が何か無理して相場を動かすことと思われやすいのですが、「過ぎたるは及ばず」で、あまりに無理することは結局は失敗に終るものです。そんなことは仕手自体がよく知つています。それよりもつと巧妙に極く自然に行われる仕手相場があまりに多いことに気づくべきでしよう。ここでは、買占め、玉締め、売り崩しを主として述べましたが、それだけでなく市場の人気を巧みに利用して、誰にも気づかれずに自分の思い通りに動かし、ほくそ笑んでいる覆面の仕手の策戦も取り上げてみました。結局は市場心理にまき込まれないようにして、反対にそれにうまく乗るように心掛けるぺきでしよう。
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1買占め事件
兜町や堂島の歴史にはずい分たくさんの買占め事件がありました。「成金」第一号といわれた鈴久こと鈴木久五郎は、明治三十九年に鐘紡と東株を買占めました。石井定七は大正十年から十二年にかけて堂島期米と新鐘(鐘紡新株のこと、当時は親株と新株とでは払込金額がちがつていた)を買占め、それに失敗して七十余の銀行を借り倒し、借金玉といわれました。この外にも明治三十六年、石蔵柳之吉の三品綿糸買占め事件。昭和六年。吉村友之進の横浜生糸買占め事件など数えきれるものではないのです。しかしこんな戦前のことばかり云つても仕方がありません。記憶に新しい戦後にもまたそれ以上に買占め事件は数多いのです。株式の方では、株式ブームに乗つて大小さまざまの思惑飾が横行して、買占めの噂を聞かない日はなかつたほどでした。旭ガラス事件や、藤綱買占め団による一連の買占め事件、十合果相取事件が有名ですし、最近でも鈴木一弘氏による思惑がありました。繊維市場においては近藤紡社長による綿糸、毛糸の思惑がありました。
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さらに、小豆定期市場においては、二十八年の吉川清氏の買思惑がありましたし、三十一年の暮から翌年四月にわたつての吉川太兵衛氏の大買占事件があり、この外にも、まだまだ多くの買占め事件がありました。しかし、これらの買占めは、言葉では「買占め」と一言でいわれてはいるが、その内容には二つの種類があるのです。いわゆる「買占め」と「玉締め」(ぎよくじめ)です。これらの区別は順を追つて説明してゆきますが、目的は何かというと、商品や証券を独占するか、市場の或るチャンスをねらつて普通の取引では出来ないような大きな利益を得ることなのです。そうして、結果はどうなろうとも、そのために定期市場、現物が一時的にもせよ、混乱をおこし、さらに、あとあとまで影響されてしまうことになるのです。然しこれからは、小豆の市場は規模が大きくなつたので、買占めするような仕手の出現は望めない、だから買占めについての知識なんか必要ない、というならばそれはまちがつています。買占めに類することや、これに伴う謀略はいまでも、年がら年中行われていますし、また、少しでも買占などについての噂や、動きのあるようなときには、デマや宣伝や謀略が派手に行われやすいのですから、それにひつかからないためにも、これらに関する知識はもつていなけ
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れぱなりません。
2思惑ということ
さて、この本の最初の章にも思惑(おもわく)という言葉が出てきましたが、この言葉は一般にはずいぶん大げさに聞えるようです。危険な取引、イチかバチかのバクチ的な取引を行うこと、あるいは、身分不相応な大きな取引をすること、そういうことを思惑というのだと考えられているようですが、思惑というのはどんな少量でも、たとえ、定期の一枚でも、二枚でも、とにかく見込みを立てて商行為、つまり買つたり売つたりすることを云つているにすぎません。だから、私たちが問題にしている商品の定期相場に限られているわけではなく、株でもよければ、商取引の対象になるものならぱ何でもよいことになるのです。それどころか、たとえば、外国為替の変動を利用するのも、会社を設立したり、工場を建設したりして事業をするのも、もちろんみんな思惑ですし、さらに私たちの生活そのものも思惑なのだともいえましよう。
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しかし。「思惑」という言葉が多少とも、暗い、あるいは危険、という響きをもつているということは、これが人間のもつ欲望と資本というものの魔力のために、次第に複雑となり、ますます大きくなつて、一種の金権暴力行為となる可能性をもつているからではないかと思われます。ではありますが、株式市場であれ、商品定期市場であれ、これを利用する銀行や金融業者、商社や現物の大手筋などにとつては相場は単に取引の一部分か、全経営部門のほんの一部にすぎないのですが、投機業者や、相場師といわれる人々にとつては、それがとにかく生きることのすべてになつているわけです。偏狭な考えですぺてを律する役人が何といおうと、また道徳家ぶつた経済学者が何といおうと「思惑」が発展して「買占め」や「玉締め」が行われるのは、人間に欲望というものがある限りなくなるものではないと思われます。また、相場が実勢を無視して騰貴すれば(それも役人が考えるほど実勢を無視した相場になつていることはまずないといつてよい)、監督官庁はすぐ高値抑制に乗り出してきます。しかし実勢を無視して低落したときは(法律で定めた最低価格というものがあるとき、たとえば生糸のようなものは別ですが)それが本当に実勢を無視した相場であつても別に安値引上げには
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乗り出してきません。だから(よく考えてみると。高値抑制とか、最低価格の設定とか、そういう安易な「常識的な価格」そのものに捉われた政策こそ、思惑であるともいえないこともないのです。それならば自然にまかせておかなけれぱならない相場の変動を人為的に変えようとする「買占め」「玉締め」とは、いつたいどういうものかということの実例を示してみましよう。
3吉川商店の買占め
三十一年の十月に大阪の小豆定期を買い煽り、暴騰させた東京吉川商店社長吉川大兵衛氏は翌年の正月早々三菱商事食糧部を背景にして再び三十二年の四月限を買占めにかかりました。しかし、これは、前からのいろいろないきさつがあつてのことになるのです。三十一年の十月限は、品受けを強行したので、東京は九千九百八十円、大阪は一万一千九百九十円と暴騰して、一応は定期市場では成功したようにみえたのですが、その代り、品受けを強相行した分については、三十年産のヒネを相当量手持ちせざるを得なくなつてしまつたのです。
これらの現物は、いつたん三菱商事が引き取り、そこから再び吉川商店に手形で売る、吉川
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商店ではこれを銀行に担保に入れるという形式で資金を回していたので、定期の値下りは担保価格に影響してくるので、どうしても相場を維持(買支え)していなくてはなりません。多少は売り逃げたのですが年末には合計十万俵の手持ち量になつてしまつていました。また、吉川商店では、ザラ場(現物の先物取引)で青えん豆を買つて、これも十万俵くらいになつていました。そのために、何とか一勝負打たなくてはならず、小豆の四月限に目をつけたというわけです。四月限は二月はじめに九、四六○日(東京)で生まれて、その月の十一日に八、三○○円まで下つたのですが、吉川の買で戻し、二十六日は九、三○○円になりました。しかし三月になると、再び八、六○○円台に落ち込み、相場全体はどうしても弱含みの状態になつてきました。このように相場が弱くては、四月限が納会したあとでは売りつなぐことが出来そうにありません。仕方なく、吉川商店は五月限に少しづつ売りつなぎはじめたのです。だから、はじめ四月限より六○円万上鞘にいた五月限はだんだん逆ザヤにな方、三月の末には六○○円、四月限が当限となつて一万円台に乗つた四月九日には一、六○○円もの逆ザヤになつてしまいました、それでも、四月限を買い五月限を売る言という作戦はつづけられたので、納会前日の二十三日には四月限の二○、八九○円に対して五月限は八、三二○円と実に二、五○○円という前代
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未聞の逆ザヤとなりました。このような状態では、期近に現物がつながれるのは当然で、全国から荷が集り、雪の積もつた産地でも馬の尻をたたいて出荷を強行しました。このことは吉川でも予期したことで、ますます買い進んだのですが、都合のわるいことが起きたのです。吉川商店は、三菱商事の情報網を利用して、産地や消費地の在庫や荷動きについては相当にくわしく調べていたし、また定期の玉読み(ぎよくよみ・現物、空売りの状態、仕手関係の判断)にも自信があつたのですが、全然出所不明の大量の荷物が早渡しされてきたし、ザラ場の約定にも渡されてきたのです。それは、深川の雑穀問屋で、取引所の仲買人でもある北信物産から渡された東洋海運倉庫発行の倉荷証券ですが、実は倉庫に現物の裏付けのない空券(偽造証券)であつたのです。だいたい倉荷証券というものは、株券と同じように有価証券で、倉庫会社としては、荷主が、入庫したことを確認してはじめて発行するもので、入庫予定で証券を発行することは絶対にしない商習慣ですので、吉川商店がこれを信用したものも無理はなく、納会まで全然わからなかつたのです。北信物産(屋号はカネニンペン)は現物でも定期でも取引量は多く、表面上は有力な店と思
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われていたのですが、内情は苦しく、手形で澱粉や雑穀を買入れ、現金で売るという資金繰りをしていたが、次第に無理をするようになつて、損をしてでも現金売りをするという自転車経営で表面をゴマ化していたのです。空券になつたのは、産地から来た荷物は一旦倉庫に入れて証券化したものの、代金が支払われなかつたため荷物を押えられて転売されたので、裏付けがなくなり空券になつた、というのですが、それにしては日数がありすぎた点や量の多いことも計画的であつたと思われます。そして倉庫会社と共謀した群欺であるとして後日に昔発されるのですが、とにかく、納会にこの只の紙切れにすぎない空券が堂々と用いられたのです。だから根本から玉読みが狂つてしまつた四月限の納会は前日の高値から一挙に二、五三○円安の八、三六○円という暴落紺会となりました。もし、この空券(定期とザラ場の両方で約二万使分)がなかつたら、吉川の予測通り一万五千円附近まで暴騰したことはまちがいないと思われる程に完璧な作戦だつたのですが、このような考えもおよばない事故で失敗し、いま思い出してもぞつとする(私のいた店は買占の一派でしたのでもちろん買つていました)ほど惨胆たる納会になつてしまつたのです。大正十一年からの石井定七の鐘紡新株の買占めでも、それこそ九分九厘まで成功していたの
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が、新聞の一寸した誤報がもとで、ドタン場で惨敗レています。昔からの買占め事件は、たいてい、ふとした事故で失敗しているのが多いのですが、買占めと似て非なる「玉締め」という作戦では、大きな欲を出さず、適当なところで妥協さえすれば成功していることも多く、吉川商店でも、このあとの八月限では九分通り成功しています。これは一体どうしてでしようか、その原因を考える前に買占めと玉締めとの相違をみてみましよう。

4買占めと玉締め あらゆる買占めの目的は、ある品物を(品物でなくとも、換算価値のあるものならぱ何でもよいのです)独り占めすることによつて、そのものに自分の望み通りの値をつけて売り、普通の取引では出来ないような莫大な儲けをしようということなのです。しかし、買占めの対象はなんでもよいといつても、それは生活に関係のないものでは仕方がありません。買占めても、他人がさほど必要のないものでは高く買つてくれないし、また無限にあるもの

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では買占めることさえ出来ません。生活に欠くことの出来ないもので、一定の量しかないものが一番よいということになります。だから、証券で藤網一派が行つたような買占めは、ものを独占する代りに、一定の割合さえ手に入れば独占したと同じ効果があるという点で成功し易かつたといえます。このように買占めというのは「ものそのもの」を対象にするのですが、玉締めというのは、定期市場におけるその商品の瞬間的な品不足や、売方の油断を狙つて、定期の買建玉の一部(もちろん多ければ多いほど有利なのですが、)を高い値で売る、つまり相手方に買い戻させることを指しているので、買占めでは空売りの有る無しが問題にならないのに、玉締めでは定期だ、けが舞台になつているので、これが、いちばん重要な問題になつてくるわけです。まず三十二年の八月限で吉川商店が行つた典型的な玉締めの納会の模様を当日の日本経済新聞でみてみますと。 どんどん上つた唱え
小豆当限納一節七千二百九十円、二百九十円高、二節七千六百円、六百円高・・・・
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前場限りで納会の小豆当限は節ごとに上げた。三節、当限納会の大詰めである。唱えはどんどん上つて「九千四百九十エーン」。ボンと木が入つて一瞬の静まリ、ついでざわめきが起る。立会場に姿をみせたことのない加藤理事長も、この日ばかりは高台からジツと市場の成行きをみつめていた。解説は第一面に欠のように載つていました。 小豆相場(当限)吹上げる
開所以来初の三割五分高
二十八日の東京穀物商品取引所の小豆相場は当限(八月限)が前日引値より二千四百九十円高の九千四百九十円と大暴騰を演じた。この日は八月限の紺会日に当つており、売方の踏みが殺到したわけで…中略…このように相場が上げた原因は今度の主力買方が四月限の仕手戦で痛手を受けた東京吉川商店であつただけに、同席の買注文に相当数の仲買店
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が売向つたとがめが出た恰好である。さらに、その背景には四月限受渡し当時に発生したカラの倉荷証券に対する取引所の措置を不満とする吉川商店と取引所間の紛争がこじれてきたことにも原因があると関係者はみている。…以下略 さらに、玉締めの性質を知るために他の業界紙から少しづつ拾つてみます。
▽今度の定期当限の上げは、八月中も七月と同様案外現物の売行きが良く、継続的に売物を出していた深川の三好商店や吉川商店では、最近この点を強調していたし、都内在庫が需要期を控えて少なかつたための踏みとみられているが…以下略。▽売方は当限落ちの前日にも新規にハタを売つていた。これは買方の京橋筋が弱体化したとの風説が市場に流布されていたため、買方を侮つて売つたものである。京橋筋は数店から素直に利金売を注いだが、もしこれがなかつたならぱ、或いは一万円を実現していたかもしれない。
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▽京橋筋は当初五百校程度の受けを予想していたもののようだ。それが、七百八枚と約一万四千俵の受けとなつてしまつた。
買占めというのは、ある商品を独占して稀少価値を出させ、それを一手で販売して利益を得るのが目的ですが、玉締めというのは、以上の記事をみてもわかると思いますが、商品の瞬間的な品不足や、売方の油断を狙つて定期市場の売玉を自分の思うような高値で買戻させて利益を得ることなのです。
5玉締めとチャンス玉締めは英語でスクイズといいます。スクイズという言葉には「金銭を搾取する」という意味がありますが、まさにその通りなのです。買占めては或る程度、商品そのものを狂わなければなりませんが、スクイズの狙うものはそのものずぱりの「差金」になります。だから受渡量は少い程よく、差額はもちろん多ければ多い程よいのです。玉締めにとつて、いちばん有利な条件は「実際の需給バランスはそれほど悪
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くないのに人気的に売り込まれていること」なのですが、これは何もスクイズだけに有利な条件ではなく、普通に買玉を建てるときでも考えなければならないことになるわけです。つまり、玉締めも、投機の一方法である限り、定期に買玉を建てて差益を儲けることと変りないのです。それでは玉締めの手仕舞が普通の買玉の利食とちがう点は何か、といいますと当限納会において、高騰させる主導権をもつということではないかと思われるのです。そうであるならば、玉締めというのは、そのまま、定期が上にゆく条件をそなえている状態にあるかどうかをみなけれぱならないのです。つまり、玉締めをする相場師や策士がいなくとも、或る程度は高くなる。少くとも下にゆかない状態になつていることが必要なわけになります。それらのいろいろな場合や状態をわかりやすく分類してみますと、次のようになります。しかしこれはもちろん絶対的のものではありません。

現物不足が既に知れわたつているとき
実際に現物は不足しているのだが、そのことは市場一般がよく知つており、材料としては慢性になつて、相場にはすでに織り込まれているようなときです。
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このようなときは、大量に買玉を入れ、また空売をさそつて納会で締め上げるのがたやすいように思えますが、なかなかそうはゆかないようです。現物が不足しているときは、それ相当な高値にいることが多く、また逆ザヤの現象にあることが多いものです。ですから「在庫の過少」が既定の事実となつているとしても、そんなときの相場は、次第に現物不足に相当するだけの値になつてしまつているわけで、また現物の少ないことを皆が知つており、期近に売物が集りません。売物は用心深く先物にあらわれるだけで(だから逆ザヤになるわけですが)こんなときに無理に玉締めしようとすると、自分で高値に買煽つてしまう結果になつてしまいます。それに先物を用心深く売つた人たちは、期近にまわるにつれて買戻しのチャンスを狙つており、売り乗せるようなことはなく、結局売物が少いか開凋ら思わぬ高値に買煽ることができますが、やはり限度があるもので、もしそれ以上に値をつけると、どこからともなく荷が集つて現物とケンカしているようなことになつて、イレをとることが出来ません。穀物市場の玉締めは、世界のどの市場をみても、収穫期前の品枯れのとき、つまり端境期に成功しているのは、品不足であるうえに、早刈物もぼつぼつ出回つてくるから、先行きの出回りについては割合に安心感があり、だから値も安く、またしらずしらずに空売りが増加十るか
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らだと思われます。
(ロ)市況不振のときの玉締め
市況が不振で、定期に関心がうすくなり、現物業者も自分の手持玉とツナギの量がどうなつているか、さほど神経質に考えず、ツナギをそのままにしているし、またそのようなときは一般の人たちも、つい売り安心の気分になりやすいものです。また定期が不振の割合に現物市場の流通量が比較的多く、それがスムースにいつているようなときは、つい定期市場の指定倉庫の品物が少くなつてしまうことがあります。つまり、受渡適格品でも指定倉庫になかつたり、また規格外の現物を大量に持つていて、それを定期にツナイでいることもあり、結局は空売りと同じような状態にしらずしらずになつてしまつていることがよくあります。こんなときに納会直前のわずかな間にスキを狙われて品受けを強行されると、売玉はたとえわずかでも高値で踏まされることになります。こんなときは、渡し玉は少いし、だからたくさんの玉が利食い出来るし、受けた現物はコストが安くなります。受けた玉は現物のまま処分しても、すぐツナイでもよいのです。
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値巾は少くとも、玉締めの一種ということが出来るでしょう。手亡などでは輸入物の競合品が多いので、この種の玉締めは度々行われているようです。
(ハ)売玉を保護するための品受け
締めることよりも品を受けることを主としたものです。たとえば、現物を買付けたとか、定期に買玉をもつているとか、現物の手持ちがあるとかの場合には、先物にツナぐのが常識ですが次のような事情があつたとします。(1)先物にツナギの売物を出すと、相場がたやすく崩れそうだ。(2)すでに大量の売玉を建てたが、買付けた現物は回つてきそうになく、あるいは買い戻されそうで、空売りになつてしまうおそれがある。(3)現物の手持ちの割合に先物へのツナギが多すぎてしまつた。以上のような場合に、当限を買い煽つて、荷の集りをよくすることがあります。品物を受けるのとともにツナギも狙いたいというわけです。当限を煽れば、相場全体が多少とも強含みになるし、荷の集まりもよくなつてくる。そして品のほしいときは品受けしてもよく、またツナギたければ先物、中物にツナげぱよい。多少と
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も納会が高く、煎れ(踏み)がとれれぱなおさら有利になります。もし品受けしたあと、先物の売玉が踏みになつても受けた品を度すとともできるわけです。このようなときの玉締めは、正確には玉締めの範囲に入れるべきではないかもしれません。なぜならば、玉締めそのものは目的ではなく、品を受けること、ツナグことが目的であつて、締めることは副産物ともいえるからです。しかし、現物が裏付けとなつて玉が動いていますので、あまり欲張らなければ成功することが多く、なかなか面白いものです。これが大規模に、またはつきりと行われたのは三十一年五月の吉川商店が主となつてやつた五月限納会玉締め、同時の七月限へのツナギで、このときは、五月限の受け玉は納会の少し前から六、七月限にツナギ終り、さらに納会前後に大量の空売りを行つたのです。だから順ザヤで騰つてきた相場も人為的に逆ザヤになつてしまい、納会後の売り崩しで七千円から四千円附近まで三千丁を一カ月で暴落してしまい、大成功しました。
嫁姑運動のときの玉締め
この本の「鞘」のところで逆ザヤ発生の理由として、(1)前途悲観
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(2)供給不足のふたつをあげたのですが、これらの理由はたいていの場合に混合してあらわれます。もし品不足の性質の強い逆ザヤの場合はなかなかサヤ制げ(サヤの値開きが縮まつてくること)せずに、当限に回ると、前の当限と同値ぐらいになるという相場がつづくことがあります。これは時期がくれば上になるということを嫁が姑になることにたとえて、嫁姑運動、簡単にヨメシユウトと呼ぱれているのですが、繊維相場や現物事情の強く作用している産地の小豆定期や、手ー亡にもよくあらわれます。このようなときには、当限に回れば高いから、次第に先物買が有利であるという人気になつて、逆ザヤが続くことを望めば望むほど、逆ザヤの寿命が短くなるという矛盾したことになつてしまいます。もし当限を中心とした期近が常識以上に高騰ナれば、現物事情を中心とした相場だけに、空亮りをかぶりやすくなります。こんなときに、「逆ザヤ延命策」といわれる玉締めが行われることがあります。これは、先物が前述の買人気で月近に回るにしたがって、鞘寄せ(ナヤを縮めてくること・この場合は高い当限に近づいてくること)してくれば、叩いて提灯筋をふるい落したり、多少
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は煽つて空売をサソつたり、人気を冷したりしてから納会で締め上げるのです。繊維市場では近藤紡が二十八年の四月以来十カ月も続いた逆ザヤの相場で、次々と当限を締め上げたのは、この方法で、まことに見事な策戦でした。三十二年の夏に三晶貿易系の輸入商社が行つた手立の何方角にもわたる締め上げは最後にいわゆるビルマの毒豆事件があつて解合になりましたが、この策戦も見事なものでした。

6売り崩しと其他の仕手相場
商品相場の成立は根本的には需要と供給のバランスにあることは何度も述べました。そうして、それはその商品の属する分野のあらゆる需給の総合したものとなるわけです。たとえば、小豆について考えても、定期市場の標準品は北海道産普通小豆みがき二等(農林省検査規格その二)となつています。道産大納言二等は同格といわれ、同じ条件で受渡しされることになつています。その外に道産三等小豆は一、○○○円格下げ(たとえば定期の八、○○○円で売つて、納会で渡しても、格差一、○○○円を差引かれて手取りは七、○○○円にしかなりません)で、青
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森産二等小豆は三五○円格下げ、等々数多くの受渡供用適格品(格上げ、格下げがあつても定期の受渡しに供用できるもの)がありますが。現物の相場を広い目で、見た場合には、これらの、適格品だけで相場が成り立つているわけではありません。この外にも小豆の競合品(代用に使える豆類)との釣合いも重要になります。たとえば手立についてみても、小豆があまり高いと、手亡のあんこに色をつけて(染色)使いますし、輸入、物に色をつけてもアズキあんと同じように使えます。もちろんそれらの値段によります。だから、これらのたくさんの競合品の値段や需給の釣合うところで相場が成り立つているわけです。しかし、玉締めのところで述べたように、輸入雑豆の手持のヘツヂに定期を利用したとしても、それが受渡し適格品でなければ、納会で渡せないので、定期市場というせまい目からみれぱ、このヘツヂはやはり空売りということになつてしまいます。さらにこの外にも、取引所のある地域のこれらの需給の状態が関係してくるのでなおさら複雑になつてくるわけです。仕手といわれる人達は、このような現物のいろいろな関係や、定期の特色を出来るかぎり利用するわけです。そうして、仕手相場というからには、多かれ少かれ、自然であるべき相場への反逆なのです
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が、定期の特色や、現物の関係をよく知つていれぱいるほど、それらをよく利用して、ごく自然にみえるように人為相場をつくれることになります。玉締めというのは、定期の空売玉を多くして踏み上げさせる方法で、納会における人為相場ともいえますし、この反対は売崩しですが、この言葉は、納会における瞬間的な下げ相場をつくる事とともに、下げ相場そのものをつくることにもつかわれているようです。上げる場合には、煽ることと締めることとは別なことですが、相場を人為的に下げる場合には一様に崩すといういいあらわし方をしているようです。証券市場では、なかなかひんぱんに行われているようですが、商品市場でもやはり相当に多くみることができます。三十四年十一月限の納会でも、山種の大量売りが踏まされそうになつてしまい、山種はあわてて、大阪の売玉を手仕舞い、現物を東京に移送して(大阪では現物のツナギで売つていたと思われます)、さらに「山種の売りは空売りならず」と宣伝して辛うじて踏みをまぬかれたことがありましたが、このような策戦も、「売り崩し」の中に入れると、小豆市場においては、ほとんど毎月の相場にみることができるようです。たとえば、小豆の売方が、出来高の少い手亡を売り叩いて崩し、小豆の上伸を止めようとい
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う動きが時々みられますが、これも消極的ながら売声し策戦といえましよう。また、現物の荷動きの少いときに現物を売り叩くのもなかなか効果のみる方法なのです。本格的な仕手戦としての売崩し策戦は、次のような場合によく行われます。
1. 順ザヤの底練り期間 2.当限が安納会したあとの先物 3.当限が玉締めされたあとの先物 4.上げ相場途上の一服時期
   
  順ザヤの底練り期間中における売崩しは、たとえぱ将来に何か期待できるような漠然とした
好材料があらわれて買人気になつたが、時期筒早だと思われるときによく行われます。仕手は手先物を買い煽る。そうして、期近がつられて伸びてくるのを待つて、まず期近を売つてゆく、期近が強張つてくれば、投げようと思つている人達も、納会まで待てば高そうだと見送るわけで、また高納会見越しの買も新規に入るかもしれません。しかし、実勢そのものはまだ好転しているわけではなく、供給過剰の状態にあるのですから、
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う動きが時々みられますが、これも消極的ながら売声し策戦といえましよう。また、現物の荷動きの少いときに現物を売り叩くのもなかなか効果のみる方法なのです。本格的な仕手戦としての売崩し策戦は、次のような場合によく行われます。
1. 順ザヤの底練り期間 2.当限が安納会したあとの先物 3.当限が玉締めされたあとの先物 4.上げ相場途上の一服時期
   
  順ザヤの底練り期間中における売崩しは、たとえぱ将来に何か期待できるような漠然とした
好材料があらわれて買人気になつたが、時期筒早だと思われるときによく行われます。仕手は手先物を買い煽る。そうして、期近がつられて伸びてくるのを待つて、まず期近を売つてゆく、期近が強張つてくれば、投げようと思つている人達も、納会まで待てば高そうだと見送るわけで、また高納会見越しの買も新規に入るかもしれません。しかし、実勢そのものはまだ好転しているわけではなく、供給過剰の状態にあるのですから、
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や、猛烈に叩くとともに、売方有利のデマ放送をします。つまり心理的策戦というわけです6
7心理的策戦
相場師が本当に戦いとらなければならないのは、他人とのたたかいではなく、自分自身とのたたかいだともいわれています。自分の欠点とたたかつて克服するだけではなく、自分の長所ともたたかわなけれぱならないのです。そうして、その中でもいちばんの大敵は自分の〃欲〃なのです。あまり欲張つたり、いい気になつて増長することは、とにかく、いちぱんいましめなければならないことなのです。(このことはプ、ロとアマチュアの章でも述べます)とにかく、相場は、なかなか心理的影響の大きい仕事なのです。だから仕手戦においても、あやしげなデマを流して、市場の人気、つまり一般の人達の動向を思うようにあやつつたり、利用したりすることは、年がら年中行われています。持にマスコミの発達した現在は、昔と比較にならないほど大がかりに行われます。
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小豆の市場は、農産物であるため(工場の製品ではない)数字的な裏付けが少いうえに、参加する層が広いため、デマはよく効くといわれています。デマのうちでいちばん簡単なものは、1単なるデマ放送を流して目先の人気を変えるということで、もつと大がかりなものになると、たとえば人世の建玉を持ちながら、2人気を次第にひとつの方向にもつてゆき、材料も味方につけてしまうという複雑な人気吸収策になつてきます。そうして、まことしやかに統計的な数字の裏付け、たとえば、産地在庫はどれぐらいあるとか、輸入がどれくらい、とか発表して、人気をその方向にもつていつてしまいます。殊に北海道という特殊な地域の産物であるために、農民のためにというと上げ賛成の大義名分も立ち、反対に下げ賛成には消費者のためにという理由も成り立つわけです。こんな変な理屈を表面に出す仕手もいたようです。そうして、それとともに自分が如何にも商品流通界に重きをなしているような宣伝をすれば、間接的に相場をリードすることができた時代もあつたようです。しかし、別に取引所の取引機繊をこわさないかぎりは、どんな悪質なデマを流そうとも、デマにひつかかつた方が馬鹿をみるわけで、あとでいくら仕手を非難してみても、ぐちをこぽし
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てみても、しよせんは引かれ者の小唄にすぎず、損の計算書を書きかえてくれるわけではありません。デマ放送で人気を動かすといつても、宣伝だけでは不足だとか、あるいは、もつと直接に目にみえる証拠を突きつけなけれぱならないようなときは、早受け、早渡しを利用して人気を片寄らせることもよく行われる方法で、とにかく目の前に証拠を出すだけ、威嚇的な効果があります。大量に早渡しを出せば弱い材料となり、大量の早受けは強い材料になり、それが目の前に現われているからです。だから、大量に買玉を入れたいとき、早渡しをたくさん出せば、マバラは驚いて売りあせつてくるので、そのときに悠々と買い拾うことができるわけです。三十一年の七月に新甫早々吉川商店は早渡しを一、六○○放出したのですが、下げ相場のまつ只中でしたので、これは効果が大きく、果して投げ物続出、一日に八千五百牧、二日に六千八百枚の出来高を記録、これが人気の出尽しとなつて大庭を入れることになり、あとストツプ高を十二回もみせる暴騰になつたのです。もちろん売方大手が早渡しを出したあとドテン買越第したのはもちろんです。また十二月にも月初めから大量の早渡しを出したのですが、その大部
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分はビネなので嫌気して総売り人気となり、その後買方は早渡しをして人気を冷しながら先物を強引に買進んだので、当先のサヤは五○○円も開いてしまいました。するとサヤ取筋がチャンスとばかり当限買の先物売をはじめたので、手持ちの現物をたやすく肩替りさせることが出来ました。そして年末には一万円を越すことになりましたが、この策戦も、早渡しで相場を冷す、売り込ませる、先物を買い煽る、サヤ取り筋に当限を買い(いづれ現物を品受けする)先物を売らせる、という一貫した方針が成功したともいえましよう。
8市場間の操作
各地の市場で値が開くことはよくあることです。たとえば三十四年十二月限の果糖相場は東京が二、七○○円、大阪はそのとき四、七○○円と倍近く開きましたし、三十一年十月の小豆納会でも、大阪は二、九九○円、東京は九、九八○円、名古屋は七、二○○円と常識では判断できないような値開きになつたこともあります。近くは三十六年十月限小豆ですが、このときの仕手は大阪に現物を集中させ、品薄になつた名古屋市場を締め上げました。納会値段は名古屋九、九○○円、大阪は西、四九○円でした。
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また東京から高値の名古屋に現物が移動し、東京市場も品薄になつたので別の仕手が目をつけ、納会の一週間前から暴騰、東京の納会は七、五○○円、というニつの市場で別々の仕手が成功した珍らしい納会でした。市場間での値の開きは普通の場合には、産地からの距離や、市場のある地域における上場商品の流通状態によつてきまることが多いのです。たとえば、小豆は産地と東京は普通二○○円から二五○円の差がありますし、東京と大阪では大阪の方が六○円くらい高いのがあたりまえだと云われます。つまり産地からの運賃分だけ遠い地域が高いわけです。また東京より大阪の方が手亡や大納言が嗜好品としての程度が高く流通も多いので少し高いのが普通といわれます。しかし、これらは、いちばん流通が円滑に行われているときの常識的な値の開きのことですが、それが異常な値開きになつた場合に、これは「処相場」(ところそうば)と呼ばれることになります。ですが、この処相場は納会間際に或る地域において、受渡供用品の在庫が少く、空売り筋が踏み上げて高納会することもよくあるので、このようなときは、仕手が入つたのではないのです。そうして処相場を出したほんとうの原因は何なのかわからないことも多いのです。
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相場の波動のゆきすぎから市場間の値開きにも多少のゆきすぎがあるのは止むを得ないことで、山種などはこれをうまく利用し、細かくソロパンをはじいて、安い市場で買い、高い市場で売り、サヤをかせいでいますが、これはストラドリングと呼ばれるサヤ取り売買で、仕手相場とは何の関係もないのです。しかしこのサヤ取り売買を少し大きくして、さらに仕手関係を読んで大量の玉でイタズラをすることもできます。それは、どこの市場で渡し品の不足しているかをしらぺ、納会直前になつて一方の市場の買玉を手仕舞い、渡し品の不足している市場に乗り替え、売方を踏ませることもできるわけです。だから簡単に考えれば、1或る市場の現物と定期当限の両方を買い、納会で締め上げる2売玉を建てておいた他の市場には現物を送り、納会で崩す3さらに、日ならずして普通の相場にもどるのを見越して、安い市場を買い、高い市場を売るという一石三鳥も四鳥も効率が良いように思えますが、なかなかそううまくはいかないようです。
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それでも、小豆市場は、各地の市場規模に差があるので、ひんぱんに小規模の操作は行われているようです。市場間の操作は、その特殊な場合でしょう。それは、規模の大きい市場で買玉を建てておいて、規模の小さい市場を猛烈に買煽ります。規模の小さい市場は少しの玉でも煽りが利くわけで、それで、買玉を建てた市場にも影響して、人気が弛張つてくるというわけです。これはよく利用されます。たとえば、東京市場で大きく買建てをしておいてから、規模の小さい札幌市場を買ります。東京市場は産地市場には割合敏感ですから、それにつれて東京も値を高めてきます。札幌は少しめ買物でも動きますから、それを犠牲にして煽りながら、東京を利食してゆきます。それがうまくゆく場合ばかりとは限りません。結局は時期によるといえましよう。もちろん、仕手相場のあらゆる場合の成功、不成功の分れ道は、人気塊動き、とチャンスのつかみ方によりますし、また、それらの総合的な策戦の上手下手にある、という結論になりましょう。

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第七草大手亡相場の特長 はしがき−手亡の需給について−北海道における手亡の生産−−手亡と世界の需給−−手亡と世界の相場−−手亡定期相場の波動−手亡の策戦
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手亡は小豆と同じ豆類ですが色がちがいます。豆類には白系統と赤系統(白物と色物)という区別の仕方もあるように、全く系統がちがうのです。だから値のうごきもちがいます。ここには手亡の相場の特質について商品展望の三十七年一月十二日号から五回にわたつて連載した記事をまとめてみました。
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はしがき
大相場師「松辰」こと松村辰次郎は昭和六年に他界しました。繊維における田附政次郎が口八丁手八丁の相場師として文筆に秀いでていたのと反対に「松辰」は生産に一冊の本も書きませんでした。いや書きかけで死んだのです。そしてそれは「松辰の遺稿」としてその子松村恵次郎によつて出版されました。その本の序文。私は明治十一年の春、我国の株式取引所が生れ出ようとするとき、始めて五枚の国債を商内しました。爾来、今日に至るまで、五十余年間、株式や期米の取引に従事したのであります−−中略−−せめてこの書を発行し−中略−−私の踏んで来た同じ撤を斯道後進の諸士が踏んで、私同様の痛ましい失敗の経験を積まれることのないように致したいのであります。−−後略−−この本の中に、或る人が松辰に「相場で儲けるにはどうしたらよいのですか」と質問した処所があります。
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松辰の答え。「ナーニ、ただ、自分の性質や長所短所に適応するように商内の仕方を工夫することですよ」この言葉は大げさでなく、千金の重みを持つていると思います。生死の境を何度も往来した波乱万丈の相場師の言葉として、あまりにも真実を云い過ぎていると思われるのです。なぜ松辰は「商内の仕方を工夫せよ」、つまり売買のやり方を研究せよ、と云つたのか、ということです。 相場に関心を持つている人は新聞や雑誌の予想記事をよくよみます。他人の相場観を聞きます。甚だしいときは次のように間くことさえあります。「上るでしょうか?ではいま買つていくらで売つたらよいでしようか?」もしそれが見事に当つたとしても、聞いた人にとつては、それこそいつぺんこつきりで、一度目には通用しないことなのです。松辰は「相場が上か下かよく考えよ」などとくだらないことは云つてはいません。株でも商品でも予想記事を読んだり、他人の相場観を聞いたりすることは、相場に勝つ勉強とは全くかけ離れていることなのです。いや、それ以前に問題があるのです。それは、売買のやり方、すなわち〃建玉の技術〃なのです。
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スキーをはいてすべれない人がこれから山があるか谷があるか心配するのがナンセンスであるのと同じように、相場の基本たる建玉の技術を知らない人が、これから高いか安いか心配するのも愚の骨頂なのです。松辰はそれを云つたのです。相場に勝つには、売買のやり方すなわち建玉の〃技術〃を勉強しなけれぱならないのです。予想なんか、半分の人は弱気で、半分の人は強気で、その両方に、もつともらしい理由があるに決まつています。当り屋だつて常に当り屋ではないのです。相場についての知識は本を譲めば、すぐ得ることができます。それが正しいものでさえあればそれで充分です。あとは−自分で研究すること、それは松辰が云うように、自分に適した建玉の仕方、売買の技術ということになるでしよう。2手亡の需給について手亡の相場技術は小豆とはちがうか、というと別に特別なちがいはないのです。相場は千里同風といわれているとうり、相場の根本は同じものでしよう。ブールで覚えた水泳の技術は海で泳ぐときにも通用すると同じことです。
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そのうえ、値動きについても、同じ取引所に上場されているところから相互に関連し合つて動いているので同じような波を描くことが多いことも事実です。手亡はいんげん豆の一種としてそれ自体が競合品(代替品)が多く、また小豆の競合品としての性質も強く、手亡の需給がそれほど逼迫しないようなときは、小豆に連れて動いてしまうことが多いからなのです。しかし、手亡を別な取引所に上場したら、小豆とは全く別な動きをすることは確かで、相場の波をつくる需給は小豆とは相当ちがつているのです。同じ取引所に上場していてさえも、時々手亡独自の波をつくり、また大きな目でみればやはりちがつた動きをしている、といわざるをえません。 1.小豆は生産と消費が日本、朝鮮、中国に限られ、特に日本の国内の需給が大きく左右する。
2.手立は同種のものが世界中で生産、消費されており、国際商品としての性質をもつている。
3.流通面において、手立独自の需給が少く、(我国では主食として使われていない)専ら競合品として使用され、消費実数が非常に不明確である。
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4.国内の需給としては輸入白系統豆類の量と価格が大きくひびき、また外国の相場に非常に影響される。 5.国内の生産量の発表も不正確で、商品化率もはつきりしない。
6.消費実数がつかみにくいうえに、輸出輸入など移動量は意外に大きい。 7.以上、材料の不明確なものが多いために、定期としてはどうしても人気化しやすい。 という事情があるからなのです。しかし、商品の相場を動かす根本は、需要と供給のバランスによるもので、またそれの先見性と人気が大きく作用することも、この点では手亡も例外ではありません。そのうえ、一年草の相場として小豆と同じ条件のもとにあるのですが、以上述べたように肋需給の波そのものが小豆とは異なつているため、定期として、限月の動きがちがつてくるのは止むをえません。限月の動きがちがつている以上、策戦の立て方もちがつてくるわけで、これが小豆と関連して動いているときは時期的にややずれる程度で、あまり目立たないことも多いのですが、手亡独自の需給による動きになつてきたり、また相場が人気化の段階になつたときなどは、策戦そ第のものを全く変える必要もおきてきます。
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昨年(三十六年)の相場をみても、先物では手亡は七月末に底うちとなつておりますが、小豆は九月でした。(一代棒の波動でも、手亡では九月限できれいに陽転をみせておりますが、小豆は三十七年一月現在まだ完全な陽転は認められません)八月に小豆が暴落をみせたにもかかわらず、手亡は八月発会の十月限から買方針有利と変つた理由は、北海道における大山な作付面積の減少だつたわけです。 3北海道における手亡の生産
手亡はいんげん豆の一種です。いんげん豆は菜豆ともいい、虎豆、大福、白花、白うずら、などの高級品から、長うずら、中長うずら、手亡、大正金時、純金時など種類は多いのです。値段もまちまちです。参考までに一月十一日の現物相場を前の年と比較してみますと次のようです。三七年三六年三五年中長うずら三、七五○ 二、九○○ 三、五五○本長うずら三、九五○ 三、○五○ 三、五○○
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手亡四、七○○ 三、○○○ 三、九○○大正金時四、四五○ 三、四八○ 三、七○○紅金時三、九○○ 三、○○○ 三、五五○前川金時三、六○○ 二、九七○ 三、五○○大福七、二○○ 六、三○○ 五、一○○白花六、○○○ 四、八○○ 四、六七○さて、手亡を含めて菜豆類の生育に良好な気象条件は小豆とは多少ちがいます。たとえば小豆は八月よりも七月の気温の高いことが豊作の必要条件ですが、菜豆はそれより七月、八月と同じように安定していることが良く、六月、七月の雨も小豆とは段ちがいに悪影響を及ぼします。また六月の日照時間が多いことは小豆におけるより以上に好影響をみせるものです。このことはあまりに細かいことなのでこれ以上触れませんが、年により小豆の反当り収量の少い割合いに手亡がそれほどでもなかつたり、また小豆の反収の多い割合いに手亡が少な目な大こともあるのは、気象の影響のちがいによるものとみて差し支えありません。ホー日葦次に作付面積ですが、これも小豆以上の投機的な作物だけに、毎年大きく変動しております前に述べたように、昨年七月末に早くも底を打つたのは、手亡の作付面積が二九、六○○町
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歩と、前年三六、八○○町歩に比較して約二割の大山な減反をみせていたからなのです。また、小豆は作付面積においても、生産量においても、北海道は全国の三割七五割程度であるのに対して、菜豆は全国生産の約九割が北海道で内地の生産量はあまり関係がない、ということになります。試みに二十九年と三十三年と三十六年とを比較してみますと(%は全国比)二十九年作付面積(町歩)反収(一h舶)収穫量(俵)小豆全国 一二五、九四○ 六五 一、三六一、三○○ 北海道 四九、五四○(三九%)五○ 四一一、八○○(三二%)いんげん全国 八六、四○○ 八五 一、二一八、二○○ 北海道 八○、四一○(九三%)八五 一、一三五、四○○(九三%) 手亡北海道 二九、七五○ 一○二 四四九、五二六 三十三年 小豆全国 一四三、三○○ 一○三 二、四五八、八二五あ北海道五五、五○○(三八%)一三六 一、二五五、二五一(五一%)いんげん全国 一○六、一○○ 一四○ 二、四八一、七○○
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北海道 九三、六○○(八八%) 一四七 二、二九八、三○○(九二%) 手亡 北海道 四○、四○○ 一三九 九四一、八五五
三十六年 小豆 全国 一四六、五○○ 一二六 三、○八一、六六七 北海道 六八、六○○(四七%)一七一 一、九五○、○○○(六三%)
いんげん全国七九、一○○ 一六四 二、一六三、三三三
北海道 六八、四○○(八六%) 一七四 一、九八八、三三三(九二%) 手亡 北海道 二九、六○○ 一七四 八五六、三三三

注意1、全国の反収より北海道の反収が少い年は地域的な不作によるものです2、同じ北海道でも、小豆といんげんおよび手亡の反収の比率は、この三年だけを比較してもずい分ちぐはぐです3、出回り数量(商品化率がわかります)をあげませんでしたが、北海道では小豆が八○ー八五%であるのに手亡は八九ー九三%をみせています。さて、数字ばかり並べてもつまりません。これから、輸入物との関係とともに目的とする定第期の値動きをみてゆきましよう。
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4手亡と世界の需給 「手亡は同種のものが世界中で生産、消費されており、国際商品としての性質をもつている」と前に述べました。しかし、ゴムのように国際的に均一の品質をもつているわけではなく、また用途も多少異つており、そのうえ、競合品の多いため、ゴムのように国内と外国との相場が直接に関連し合う、ということはないのです。だから、手亡の相場については、ビルマの白豆がトン当り一ボンド上伸したから、日本でも、それに相当する値段だけ上伸しなければならない、というほど、直接の動きはありません。しかし、世界のそれぞれの地域で生産されて、主として地域的に消費されているものの、移動すなわち輸出や輸入は供給過剰な処から不足しているところへ、さらに安いところから高いところへ動くのが当り前ですから、世界の雑豆(大豆以外の豆類)の生産および相場の変動は我国の豆にも相当な影響をあたえているのです。昨年(三十六年)は手亡の相場が一カ年にわたる安値低迷から漸く上伸に転じたのですが、これには世界的な不作が直接の原因になつているのです。
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一九六○年は我国の豆類は豊作でしたが、各国の生産高が発表されるにつれて、諸外国では相当まちまちで、殊に大量生産国の減収が目立つておりました。一九六○年度主要国豆類生産情況(前年比%、△は減を示す)カナダ三○、四○○トン△一三・三%メキシコ五五一、一五○〃△四・九%アメリカ八九二、八五○〃△一・九%キューバ三七、五○○〃△二、九%フランス一二四、○○○〃三一、五%西ドイツニ、二○○〃△三三・三%イタリ−一九七、○○○〃△四・一%スペイン一三七、二五○〃○、一%ユーゴ一七六、三五○〃△二九・二%アルぜンチン二八、六○○〃四・六%プラジル一、六五三、四五○〃△四・三%チリ九三、七○○二八・二%
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コロンピア四七、九五○〃△二○・九%(米国農務省調査)
手立と世界の相場 三十五年十二月一日に私は〃林レポート〃に次のように書きました。(自分で書いた、それも昔の予測記事で恐縮ですが、手亡と外国産豆類の相場との関係がわかるので、ここに再録させて頂きます)。
手亡の情勢について
手亡は小豆の派手な動きにかくれて、市場関係者からはほとんど忘れられた存在になつてしまつたようですが、これも次第に明るい見透しになりつつあるようです。ビルマの新穀相場の第一報は昨日(十一月三十日)商社筋に入電しましたが次のように、なかなか強含みです。パターピーンズトン当り三一ボンドー○シリング
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ホワイトビーンズ〃三○ポンド(注1)(両方とも一週間前のラングーン相場より一-一ポンド一五シリングの上伸)一方、ホクレンは、手持ちのビネの処分も大体終り、新穀の販売に移つたわけですが、相当、に楽観的な見通しをしているようです。それは、ビルマの新穀の高いことも、あまり豊作で去いことを証明しているものですし、これが、ヨーロッパが不作のために、そちらに輸出されて、日本に輸入されないのではないかというおそれさえ出はじめてきたからです−中略−そのうえ、日本大手亡のロンドン市況は更に上伸をつづけており、この処ではトン当り五八セ五九ボンドと、本年三月頃の相場に戻つてきているのです。また、輸入雑豆の国内市況をみても軒並み弛張つてきており(十一月三十日、阪神輸入雑豆市況、六○キロ当り)(注2)ホワイト三、二五○円パター三、三五○円白大角二、九○○円ボケットニ、七五○円天津小豆四、三○○円東北小豆四、三○○円先物バター六一年産三、四月積み三、二五○円
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となり、約一年ぶり○高値に戻つてきたのです。以上のように1、ビルマの豆の輸入も安値では望みうすになつてきた。2、商社の手持ちは少く、市況を圧迫するほどはない。3、ロンドン市況も強含みに転じてきた。4、輸出の引き合いも高値で入るようになつてきた。5、輸入競合品の現物市況も強含みである。ということから、二年にわたり下げつづけてきた手亡の相場もようやく陽の目をみる段階に入つてきたようです。(注3)注l、本年(三十七年)の市況バター六二年産三七ポンド五シリング、ホワイト六二年産三七ポンド五シリング(一月六日ラングーン)注2、本年の市況バター四、五○○円、ホワイト四、七○○円、、ボケイト三六○○円、バター六二年産三、四月積み四、四○○円(一月十二日阪神)注3、手亡の先物は大きくみて三十一年暮まで四年間上げつづけ、三十二年正月から三十六年一月まで四年間下げつづけた。
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6手亡定期相場の波動 世界の穀物の豊凶は四年から五年をひとつの周期としているといわれています。これは太陽の黒点が九年から十年で極大期と極少期になる、つまり増減することと関係がある、と農業気象学者から云われていますが、それはそれとして、世界的に豊作と不作の傾向が四ー五年の周期をもつていることは事実のようです。だからこの面からみるかぎり、昭和二十七年から三十一年にわたつて高値を更新し、つづけた動きも、また反対に三十二年一月より下げに 入つてからは三十六年一月まで五年間毎年安値を更新していつた波動が、もし正しいとしても、私たちにはあまりに大きすぎる動きで、定期をみてゆくうえに切実に感じられません。もう少し波動の特長はないか、とはいつても小豆のように或る程度はつきりした期節的な特長は残念ながら見当らないのです。もちろん定期の内部要因として、三カ月毎に建玉が更新されて、因果玉を学んでゆくことに
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よる波動、つまり「三カ月ひと相場」ともいわれる、やや小豆と似通つた波はあることはあります。だが、この内部要因としての動きも、小豆と比較した場合、その影響はこれまた非常に少いといわざるをえません。このことは、手亡の相場が最も小豆と異なつている点で、最初に述べたように「消費実数がつかみにくいうえに、輸出、輸入など移動量は意外に大きい」ために「輸入白系統豆類の量と価格が大きくひびき、また外国の相場に非常に影響されているからにほかなりません。さらに、定期上場品としては、小豆とちがつて受渡供用品が少なく、現物面からみれば反対に競合品は広範囲である、というように格付取引というよりも、むしろ銘橋別取引としての性格がつよいためどうしても純粋に定期としての動きよりも、現物の動きに敏感であるといえます。以上のことから値動きの波としては、北半球の収穫期の九月〜十月と、赤道地帯の収性期一月〜ニ月と、南半球における収穫期四月七五月が、世界の穀物市況のまがり角であるのと同じことが手亡についてもいえるわけです。1.波動を大きく、四〜五年の傾向で捉える。2.九月から十月、一月から二月、四月から五月にかけて波が変ることが多い。
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3.定期よりも荒い現物の値動きに左右されるため、一本調子の波動が多い。ということになりましよう。 7手亡の策戦 手亡の策戦としては前に述べたように「小豆と関連して動いているときには」小豆と限月を同じくする策戦を立ててもほとんど間違いがありません。時間的にややずれたとしてもひと月以上ちがつてしまうことはあまりないからです。しかし「手亡独自の需給による動きになつてきた」ときには限月の動きも全くちがつてくるのですから策戦そのものを変える必要がおきてきます。たとえば、つい最近では三十六年八月から翌年一月の初句まで「小豆売りの手亡買い」という策戦で(限月別の建玉の方法など細かいことは別にして)充分成果をあげることが出来たのもひとつの例といえましよう。また二十九年一月から五月にかけての動きは全く反対で、手亡は五、七○○円から三、八○○円まで二千円近い暴落をみせているにもかかわらず、小豆は同じ期間に三千円の暴騰を演じ
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解け合いになつているのは「小豆買いの手亡売り」で巨利を拳けえたわけで、これも小豆と手亡では策戦を全く変える必要のあることをまざまざとみせております。そして、その曲り角の可能性の強い時期には、策戦の立て直しをすることが大切です。前に述べたそれぞれの時期よりやや早目に、いままでの方針、策戦を検討し、手亡の需給とともに競合品全般の動きに目を配り、次の限月からの策戦を立て、それにもとづいて、建玉の方法と技術をきめてゆかなけれぱなりませんひとつの例をあげましよう。三十二年の一月から小豆、手亡とも下げの波動に入り、三月限より売り一貫の相場となつたわけですが、小豆が四月に吉川商店の買占めの失敗の影響もあつて、七月はじめまで下げつづけたのに、手亡は五月で下げ止まつてしまいました。その後は、手亡の競合品たる雑豆全般が堅調をみせているのに、定期は豊作見越しに売られ勝ちとなうました。ために三限月相場には珍らしく(糸のような六限月相場にはずい分見受けられます)期近にまわれぱ高くなる、といういわゆる嫁姑運動をみせはじめました。先物の発会直後には五千円を割れても当限にまわると六千円を越すという動きをくりかえしたのです。そして、最後には無理して輸入したビルマ豆の青酸含有量が多かつたために、税関で止めら
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れ、遂に解け合いになり(毒豆事件三十二年九月十七日)八、六五○円で逆ザヤに終止符をうち、十月からオカメの順守ヤで上げ相場に移つてゆきました。策戦としては、1.一月(三月限)より各新甫とも売り方針順ザヤの新甫各限月を亮る。先物への乗り換えも可能であつた。2.五月(七月限)より逆サヤの買方針雑豆全般の動きと比較すれば、現物へのサヤ寄せを狙つて先、申物時代から買い方針を立てることが出来た。3.十月(十二月限〕より先物押目買方針発会直後の先物の安値を買い、先物への乗り換えをつづけることが出来た。となるでしよう。(この年でも波動の特長がはつきりみられます)以上、、策戦というものは書くとむつかしく感じますが、実行は意外にやさしいものです。商品相場が活気をおびてきました。読者の勝利を祈ります。
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第八章相場の記録上予測
統計とグラフー−日足の書き方−−日足の見方−-鞘の記録と考え方
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相場の記録はすべて数字でおこなわれていますが、それをグラフにすれば、移り変わりがよくわかります。そうして、長い間の経験や努力から、相場の現象やグラフにはいろいろなクセや傾向のあることが発見されています。相場の変動のグラフは罫線(けいせん)と呼ばれていますが、
これにどんな見方があるかということを二、三の例をあげて述べました。くわしくは私の著書「小豆の罫線」をお読み下さい。
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1統計とグラフ
私たちが相場を分析したり、先行きを予想する基礎となるものは、数字による統計資料であることはまちがいありません。だから、相場に関係のあるいろいろな細かい統計資料が発表されています。大別すると次のような種類に分けられるでしよう。�相場そのものの統計値動き出来高取組高等々�需而要供給に関する統計生産量輸出入量検査数在庫量消費量等々さて、このようないろいろな統計は、あるひとつの数字だけみたのではあまり役には立ちま
せん。それをいくつか並べて、どういう移り変りをしているか、ということをみなけれぱならないのです。それは「売と買について」の章でも述べたように、
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統計−−推計−−分析−予想という経路をたどらなけれぱならないのですから、数字を並べてみて「どういう変化をしてきたか」ということから、これから「どういブ変化をしてゆくか」、というふうに、何等かの傾向を見出そうとしているからです。それならば、目の痛くなるような細かい数字を並べるよりも、一目瞭然とみられるようにグラフにした方が、どんなに便利なのか例をあげるまでもないことでしよう。だから、相場に関係する人たちは、いろいろなグラフを描いて研究しているわけです。そのうちでも、直接損益に関係するのは「値動き」そのものですので、値動きのグラフは持に罫線と呼ばれて、昔からいろいろな書き表し方が研究されてきました。
罫線万能論
それらは、結局のところ、罫線をみて、或る傾向を見出し、将来を予測しようとしているのです。アメリカではダウジョーンズの罫線理論が名高く、日本では江戸時代から酒田引罫線法が行われていたようです。世の中には罫線だけしか見ないで相場をやつている人がたくさんいます。こういう罫線万能
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論者の云い分は次のようです。神様でないわれわれは、相場のすべての材料を知ることもできず、また正確に判断することも出来ない。しかし、相場の値段というものは、需要供給はもとより、人気から材料から仕手関係から、とにかくすべてを織り込んで出来たものであるから、値動きそのものをみて相場を観測した方がなまじつか「盲人が象に触れた」程度の材料で判断するより正確である。相場について考えなげれぱならないすべてのことは罫線に含まれているのだから、雑念を加えることはかえつて相場をまちがつて観測することになるのだ。この考えの正しいか査かは別として、罫線というものは相場の精密な記録として、無味乾燥な数字を並べた相場表とはくらべものにならないくらい便利なことはたしかなのです。ここでは、その記録の仕方や見方や考え方の二、三について参考程度に述ぺてみましよう。
2日足の書き方 たとえば三十五年の一月四日の大発会(だいはつかい・新年のはじめての立会) の日と次の
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第十五図は三十四年六月の五、○○○円台割れの太底ですが、このときは、日足をみると先物がダマシの二番底をつけています。サヤは中段における鞘変りから逆ザヤで下げてきたのですが、それが五、五○○日割れから順ザヤに変化してきました。六月一日の大底入れのすぐ後で殆んど同ザヤになつて、いわゆる「大底圏の同鞘」の現象をみせて上昇に転じているのです。
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終章 プロとアマチユア プロとアマチュアの区別−−仲買とお客について−みんな平等の立場
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相場というものは一部の人に特に意地悪く出来ている物でもなければ玄人筋に特別に儲けられるように出来ているものではありません。だから、自分の不勉強を棚に上げて、相場とは損するものと見つけたりなどというのはまちがつています。こと相場に関するかぎり素人と玄人との区別は、耳学問の多い少いできまるものでもなければ、その人の属する立場できまるのでもありません一般の誤解をとくために特にこの章を書いてみました。
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1プロとアマチュアの区別
世の中のすべての仕事には、程度の差こそあれ、素人と玄人との区別があるようです。そうして一般の人も、そうした区別をして不思譲に思つていません。たとえば「アマチユアがどんなに逆立ちしたつてプロにかなうわけはないよ」と簡単に片付けられているようです。野球だつてプロはマチユアとはっきり区別されていますし、碁でもゴルフでも、スボーツや勝負事は素人と玄人との区別は劃然としております。踊りだつて長唄だつて、いわゆる「名取り」という段階は、プロに仲間入りする第一段階ともいえるでしょう。そのほか、いろいろなことについても、たとえば「私は政治については素人なのですが…」と発言するように素人と玄人との区別があるようです。それならぱ、素人と玄人、すなわち、プロとアマチュアはどういう点で区別されているのでしようか普通に考えられていることは、
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玄人−−その道で生計を立てている人素人−−生計を立てる仕事は別にあつて、余技でやつている人といる人という区別であります。しかし、これはほんとうは実質的な区別の方法でないといえましよう。なぜならば「生計を立てている仕事」がほんとうにその人の好きな道であるとは限りませんし、また、他人よりすぐれた知識や技術をもつているとはいえないからです。たとえば親の代からの仕事を受けついでやつてはいるが、それよりもほんとうは別な事が好きでそれの方を専門的に研究をしている、というような場合もありますし、また、ひとつの仕事をいろいろな面からみた場合に、或る面からみては玄人といえるが、別な面からみてはそういえないこともありましよう。とくに知識と技術と完全に両立しない仕事においてはそうなのです。だから、そのような仕事においては素人−−技術が水準に達していない人玄人−−水準以上の技術をもつている人というように、専ら実質的に技術的な面からみて、プロとアマチュアを区別されているので、
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その方がはつきりするし、わかりやすいのです。たとえば、碁です。ブロの初段はアマチュアの最高五段ぐらいの実戦力をもつている、といわれていますし、野球でも、プロとアマチュア球団の技術面は比較にならないほどのへだたりがあるともいわれています。それは、プロともいわれる人たちは「好きこそ物の上手なれ」という段階から一歩進んで、その道ひと筋に生きてきた結果が、その心構えにおいても、研究の仕方においても、全くちがつているのでしようし、だから技術的にも、比較にならないほどの高い水準をもつことができるのだ、ということがいえましよう。すると、私たちがいま問題とする相場について、プロとアマチュアとはどう区別されているのでしようか。
2仲買とお客について 相場についてプロとアマチュアの区別で常識みたいになつている見方があります。それは仲第買人に属する人達はプロであり、お客はアマチュアだという考え方です。
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しかし、この区別の仕方は、前に述べたような理由によつて、まちがつていることがすぐわかります。ゴルフ場の事務員はプロではなく、もちろんプロの技術を持つてはいません。ということから仲買に属する人は必ずプロであるというのは、こと技術面からみたらそうはいえないことが多いのです。ひねくれて考えれば、プロとはお客のことだという定義さえ成立するのです。考えてごらんなさい、もし仲買人に属する人連が必ず優秀な相場技術をもつているならぱ、何もお客から手数料をもらつて、仲買なんかやらなくとも、自分で相場を張れぱよいのです。外交さんだつてそうです。お客様の応接をしたり、帳面をつけたり、証拠金の出し入れのような面倒くさいことなんかしなくとも、お客様に「買場です」というとき−もし本当なら−自分で買つて儲けれぱよいはずです。このことは何も外交さんにけちをつけることではありません。外交の仕事というのは、信用第一に店(仲買)射お客の間に立つて注文を間き、相談相手になり、証拠金の出し入れや株券の管理をすることなのです。だから、相場の状態を知らせるのが仕事であつて、相場の予想を伝えるのが仕事ではないと
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いうことがいえます。だから、相場のことだけ考えていれぱよいお客とちがつて、いろいろな雑務に追い回され、それだけでなかなか忙しいのです。もちろんお客だつて、相場で生計を立てている人ばかり、つまり朝から晩まで相場のことを考えていればよい人たちぱかりではなく、ちやんとした本職があつて余技で相場をやつている人も多いのですが、それでいて、なかなか冷静に相場をみている人も多いのです。もちろん、仲買店の人たちや外交の人たちは、相場の身近におり、経験も豊富であり、多年相場に按しでいろいろなことを知つていますし、相場の上手な人もいます。ですが、相場というものは、「知識」だけで出来るものではなく、「技術」というものがどんなに必要なものか、ということを考えれば、知識については玄人であつても、技術に関しては玄人といえない人達だつて数多くあるのです。また知識が豊富なだけでは相場ができないということは、技術だけで相場ができる、ということにもなりません。もちろん、知識や経駄の多少はどんな仕事においても大事であるように、相場においても例外ではないのです。
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しかし、相場の経験や知識の少い人達は必ず相場が幼稚かというと必ずしもそうとぱかりはいえないのです。だから、無茶をやつて損をした一部の人達がくやしまぎれにいうように「お客は損をするもの」では絶対にないのです。お客が当りつづけたために倒産した「呑み屋」がありました。もしも、お客は損するものときまつていれぱ、とにかくガブ呑みにんでいれば仲買店は大儲け出来るわけですが、そういう前時代的な仲買店が、影をひそめてしまつたということをみても、相場の勝利者はお客であるというのを証明しているのです。こういうことを考えてゆくと、相場というものは、知識と技術はかけ離れたものではなく、両方とも必要ではありますが、ただ知識の多少だけで上手下手がきまるものではなくて、基礎の技術の有無と経験や知識の質の差によつてきまつてくるのだ、ということがいえます。だから相場の上手下手つまり技術面の裏付けは、正しい知識によらなけれぱならないもので筋道がちがつたり、片寄つたりした経験や知識がたくさんあつたとしても、何にもならないという結論になります。つまり知識も技術も量より質ということになるのです。
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3みんな平等の立場
だからプロとアマチユアの差は、専ら相場技術の質の差ということにもなるわけです。限界というものの全くない相場において、具体的な例を出すことはなかなか困難なのですが、卓越した相場師と、相場の下手な人が同じように買思惑を試みたとしても、最終的な利益は大きな差をつけてしまうことになるのは当然のことなのです。そのひとつは、自分を殺す、ということです。相場をする人が、本当に戦いとらなけれぱならないのは、実は他人との戦いなのではなく、自分の殺さなければならない相手は、実は自分自身なのです。自分の独善、偏見、そして−自分の欠点とたたかうぱかりでなく、自分の長所とも戦わなけれぱならないのです−その中でも最も大きな強敵は自分の慾望なのです。自分の慾望を表面に出した相場技術は、いずれ自分の慾望のために身を亡ぽすことになつてしまうのです。「相場で勝つには第三者となれ」といわれているのは、第三者としてノホホンとしていると
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いうことではなく、勝負をしている当事者として熱くなるなといういましめです。確かに「相場の動きよりも、それによる損益だけに心を奪われる」のはいちばんいけない心理状態です。これでは年中希望的観測ぱかりしていることで、自分の相場技術に対する自信の一片も見られません。松辰が云つた「自分の欠点や長所をよく知つて、それに合うようにそれぞれ商(あきない)の方法を工夫(くふう)すること」というのは、この間の事情を相場師的な言い方で結論的に云つたことと思われるのです。
理想と現実
「歴史はくり返す」という言葉がありますが、これは、歴史の法則がくり返えされるということで、その歴史にあつた社会状態が再現するという意味ではないのです。同じように、相場の波をつくつた、すなわち天井をつくり、底をつくつた法則がくり返されようとも、そのときの需給状態や仕手関係がそつくりそのまま再現されることはないのです。だから、経験や知識の豊富な地場筋であつても、それは相場のすべてについての知識てもありませんし、ましてや少しばかりの相場の経験を威張ることもないのです。
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はじめて相場をやる人の方が、こんな少しばかりの経験、それも一方的なせまい視野からの経験に毒されている人達よりも、どのくらいましだかわからないくらいだという逆説さえ成り立つのです。私たちは理想を追つて努力しているわけですが、それは読者とても同じ立場にいるのです。大相場師といわれる人たちも、私たちも、ともに理想という山頂を目指しているということはその限りにおいてみんな平等だということになりましよう。読者の努力と勝利を祈つて章をおきます。
ー終−
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附録  小豆手亡事典
-生育から消費まで-
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北海道における小豆の生育−小豆暦−小豆、手亡の生産量-小豆の検査と出回り−産地から消費地までの費用、一流通機儀−雑豆の輸入と輸出−消費地の在庫と消費
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北海道にわける小豆の生育 過去の豊作年の気象と凶作年の気象とを比較してみると、豊凶両年で最も異る点は気温なのです。豊作年には栽培全期を通じて気温が高いのに対し、凶作年は全期を通じて低く殊に六、七、八月の低さが目立つています。日照についてみると、これも豊凶両年は相反していることがわかります。豊年作には、六、七月の日照は概して平年より多くなつているのに対して、凶作年には少くなつています。次に降水量についてみると、これも豊凶両年は極端に相反しています。豊作には全期を通じて平年より少く、凶作年には反対になつているのです。そして凶作年には栽培全期のうちに目立つて多い月がみられます。またそれも、八月に著しく多いことがわかります。このことは、八月の降水量が著しく多くない限り、その他の時期の降水量が平年より多少多くとも、他の気象条件がよければ作柄良好となるとみられます。次の表は、明治三十七年より昭和十一年に至る三十三年間の統計資料によつて、大後美保氏
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258-259図有り後回し
259少々入力済











よつて北海道においては、小豆の多収穫には、伸長盛期から開花期に至る七、八月の気温が最も大切であつて、七月は高温、多照、寡雨、六月の多照、八月の高温が望まれるということが知られるのです。北海道の気候と小豆の生育を小豆暦としてまとめてみますと次頁の表のようになります。表の(1)と(2)とを対比してみれぱよくわかります、〔気候概説は主として守田康太郎氏(札幌気象台)によりました。〕
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260-261図有り後回し
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また北海道食糧事務所及び農林省統計調査部発表の数字にもとづいて私(林輝太郎)が計算した過去四十三年間の、実収高および反当り収量は次のようです。このうち統計の不完全な昭和二十年を除いたもの、戦争中十年間を除いたものの方が正確だと思われますので、結局作付面積当りの反収は約二俵強(一二○キロ)実収は一一○万俵というのが平年とみてよいでしよう。(収穣面積当りの反収はもう少し多くなります) 過去四十三年間の北海道小豆平均実収高及び反収
(大正八年〜昭和三十七年)
大正八〜昭和三十七年院昭和二十年院昭和十六二二五年
第九○五、九二五、一一一、




○九九○五0一一一収、…○七四
○キロ、)ーキロ)三キロ)
小豆の検査と出回り
収穫された小豆は生産検査(等級を決めるだけ)移出検査(規定の俵、または
(かます)
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に入れて道外に積み出すために受ける検査を受けます。それを次の表の食糧事務所の調べでみますと、九月、十月には意外に少いのですが、十一月から増加し、年内には約半分が道外に送られているのです。またその次の十勝小豆出回り比率の表をみますと、年内に五十%以上のものが出ておりますが、これは定期がはじまる前の比率で、いまはそれよりも年内は少く、年明けの四月(行楽シーズン)、六月(蒔付けあと)に多くなつていることがわかります。
昭和三十三年産小豆類月別検査数
北海道食糧事務所調査(単位=俵)


三十三年九月末
+月末
〈右側の▲数字ほ、生産検査、左は移出検査)人、豆大納言其他小豆(生)・工、三三重三、工六二、四四(移)・六、一、八三五、三二○、(生)一○九、四七、六、三三、五四○重三四(移)九四、+牛刀Oご工u、一重工四
八、一一、一四三、一一一一一一、
計九西一三九三鉱工○一二九
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274-275後回し
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なお、大豆、大手亡の調整加工賃は小豆のように磨きをかけないので、小豆のそれを大きく下回ります。(2)の場合、(1)の場合と異なるのは、農協が庭先渡で等級別に選別したものを買いつけること、そして調整加工の前に各等級品を調合して移輸出検査用の二等品を作ること。したがつて、皇家から小豆を五千円で買つた場合、(1)の場合のように、そのまま四百円を加えるわけにはいきません。移輸出検査用の二等品を作る場合、どの等品をどの割合で混合するかは、その年の作柄や、買付けた豆の品質によつて異なる。今仮りに二等品を三○%、三等を四○%、四等を二○%、五等一○%の割合で作るとすれば、農家の庭先二等五千百円の場合、移輸出検査用の二等品は約四千九百円のものになります。すなわち、(1)の場合で出てきた経費約四百円は、(2)の場合、移輸出検査二等品の単価に加算されるものになります。(二)産地倉出しから消費地倉入れまで産地倉出しから消費地倉入れまでの経費を調ぺてみましよう。これは普通運賃諸掛りといわれています。
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現在の産地倉出しから消費地倉入れまでの運賃諸掛りは大略上の表のようになつています。(三)金利、倉敷料金利は日歩三一銭とか二銭五厘とか、その時々の金融情勢によつて異なつています。今、雑豆の金利の算定方法を示すと、雑豆俵当たり単価x30x日歩となります。三十はもちろん一月間の日数をさします。倉敷料は従量、従価率に基づいて計算されます。現在は十キロ当り九十六銭、百円につき十七銭になつています。したがつて俵当り五千五百円の小豆の倉敷料は一期(十五日間)につき十五円十一銭となります。よく口にされる「金・倉(キンクラ)」はこの金利と倉敷科を合算したもののことです。以上のように雑豆は(一)(二)(三)の諸経費を背負つて、消費地市場へ送られてくることになります。(この項、月刊穀物一九六○年三月号による)
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流通機構

産地から消費地までの経路には二つあります。(1)農民−集荷業者−出荷問屋-消費地問屋(2)農民−単協−ホクレンー消費地問屋最近ではホクレン経路と業者経路と半々のようです。産地問屋と消費地問屋との取引は東京では東京着レール渡しで契約し、支払いはほとんど荷為替引換えのようです。ホクレンとの取引は同東京出張所を通して都内倉庫渡しで現金決済のようです。図示すると次項のようになります
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280図有り後回し
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雑豆の輸入と輸出 輸入でいちばん多いのは大豆ですが、大豆を除いた雑豆も非常に多く輸入されています。それを年次別にみたものが次の表です。また輸出は戦前は非常に多かつたのですが戦争中は途絶え、最近また少しづつふえてきております。しかし、とうてい戦前の量にはおよびません。輸入は見返り(輸出実績によつて輸入許可になる)のものと別枠のものとがありますが、月別輸入量の表をみてもわかるように、相場が高値にいるときには輸入は多く、安値にいるとき少いようです。これは相場が暴騰したようなときは緊急輸入されることがあるからです。